翻訳者のpulmeriaさんが寄稿してくれました。仕事・豊かさ・ワタシの本能について。(シゴトゴト編集部)
※上の写真はかわしまよう子氏写真展の招待状
人間も猫も根本は似たようなもんだなあ
現在40代のフリーランス。現在映像の翻訳の仕事をしている。今も人生を模索中。読んで少しでも何か感じてもらえたらうれしい。
1月の始め、同業者のフリーランスの友達から映画を見に行かないかと誘われた。
『PEACE』という映画で、想田和弘さんが監督を手がけた作品だ。以前に『選挙』という作品を見に行ってから、気になる人だった。
ドキュメンタリーというと、真実をありのままに撮るというイメージがあったけど、実際にはそんなことはなくて、あらかじめ台本が作られている作品がほとんどだということを数年前に知った。
そんななか想田さんは、台本もなければ、打ち合わせもなし、事前調査も一切なし、ナレーションもなければ、BGMも流さない、ぶっつけ本番でできるだけ「狭く深く」を信条に1人で制作している。
その根本には、自分自身も、作品を見る観客にも、先入観を持たずに物事を観察してほしいという思いが込められていて、そんなところに好感を持っていた。
政治についても率直な意見をぶつける人なので、彼がどんな風に平和を描くのかなぁと思っていたら、出てきたのは想田さんの奥さんのご両親の働いている姿と、ご両親の自宅の庭に住む猫たちだけ。その2つの様子が交互に映し出される。
画像:PEACE公式サイトより
義理のお父さんは身体障害者や要介護者の人たちを車で移送する福祉有償運送という仕事をしていて、お母さんは一人暮らしをしているお年寄りの訪問介護を行っていた。一方両親宅の庭には、住みついたノラ猫たちに加え、新たなノラ猫がエサを求めて侵入してくる。互いの緊迫した様子がひしひしと伝わってくる。
映画には武器とか、憲法とか、政治とかそういう類のものは出てこない。ご両親の職場の様子がずっと描かれていて、それでも見続けていると、今の日本の現状が垣間見えたり、猫も人間も根本のところは似たようなもんだなぁと思ったりする。
ワタシたちはどことなく消耗されている
映画を見終わった後、友達と晩御飯を一緒に食べた。「うまい!」と食べながらも、映画の話になると、2人とも「う~ん」と唸ってしまった。
想田さんの義理のご両親は70代ぐらいで、生活も決して楽そうではなかった。それでもほぼ無償のような報酬額で、日々フルタイムで働いていた。庭にいるノラ猫たちは、お父さんがお腹をすかせて可哀想だからとエサをやっているうちに自然と集まってきた猫ちゃんたちだった。猫が怪我をして家に帰ってくれば、ちゃんと動物病院へも連れていく。
お父さんにとっては、人だから、猫だからという区別がないんだろうなと思った。
それまで自分の仕事の報酬が安くて友達によく愚痴をこぼしていたけど、この映画を見たら、何だかそれがすごくちっぽけなことに思えてきた。ご両親の熱心に働く様子を見て、何でこんなに安いんだと腹が立ち、物の値段が分からなくなってきたのと同時に、なぜこんなに安いのを分かっていて、2人は辞めることなく続けているのかとズシンと心に突き刺さった。
そしてこの映画を通して「自分にとっての豊かさ」とか、「自分にとっての仕事」っていったい何なんだろうという大きな質問を投げかけてもらったようで、2人とも「う~ん」と唸ってしまったのだ。もちろん答えなんてすぐ出てこない。
私も彼女も以前は同じ会社で働いていて、その後お互いフリーランスになり映像翻訳の仕事をしている。でも業界自体の料金が全体的に下がっていることや短納期の仕事が多いことから、どことなく消耗されている感があって、この仕事をずっと続けていいのかと自問していた。だからこそ余計にこの作品は響いたんだと思う。
どんな仕事が残り重宝されていくのか
映画を見て以降、自分の将来のことを何となく想像してみる。このままフリーランスでいくとしたら、年をとってもちゃんと働ける仕事選びが大事だ。また日本全体のことでいうなら、今より人口が減り、高齢化社会に突入しているのは間違いない。
先日、日本の50年後について書かれているサイトを検索していたら、2060年には男性の平均寿命が84.19歳、女性が90.93歳になると見込まれていると書かれていた! ということは、自分はまだ人生の半分しか生きていないことになる。90歳の自分なんて全く想像がつかない…。
高齢化が進むとなると、元気であれば生涯働くという人も増えてくるだろう。その一方で病気になった人たちを介護する人たちの数も増えてきそうだ。こういう流れにのって、現在浸透している働き方や仕事を選ぶ基準は少しずつ変わっていくんだろうなと思う。
少し前に、厚生労働省が、がん患者が仕事と治療を両立できるような対策を始めるとの記事が出ていた。
http://www.asahi.com/articles/ASJ124W6NJ12PLFA004.html
こんな感じのものを手始めに、柔軟性のある働き方がこれから増えていきそうだ。それだけでなく今後は企業側の都合だけではなくて、労働者である自分たちが自らの状況に合わせて、そういう選択肢を積極的に選んでいく機会も増えていくかもしれない。
そして、「どんな仕事が残り、重宝されていくのか」という点も考えてみる。これは自分の思い込みかもしれないけど、技術的にはもう来るべきところまで来てしまっているのではと思うことがある。
個人的に今以上に便利な何かを欲しているかというと、あんまりない。話題のstap細胞とか、ガンや病気が完治するとか、認知症が治るとか、介護を手伝ってくれる機械とか、花粉症が治るとか、食事を食べなくても、お金がなくても生きていける方法(笑)とか、そういう方面ではまだまだ探求する余地がありそうだけど、それ以外に大きく変化が必要なものってあるのかなと思ったりする。
高齢者や介護の要望に沿ったものはどんどん増えていきそうだ。そして行政では担い切れないものや、シビックエコノミーも広がっていきそうだ。
それ以外では日常で使うものや、人とのつながりとか、人の五感に響くものは意外と堅実に残っているような気がする。この長い人間の歴史の中でいろんな技術の進化があったけど、人間が本当に必要なものって根本的なところでは、いつの時代も、あるいはどこの国に行ってもそう変わらないのではと思ったりする。
トキメキたい。自分が熟成していく仕事をしてみたい
上に書いたようなことを踏まえて、じゃあ自分は実際にどんなスタンスで仕事をしたいんだと考えたとき、2人の人物が頭に浮かんだ。1人は近藤麻理恵さんこと、こんまりさん。そしてもう1人は志村ふくみさんだ。
こんまりさんとは、そう、あの「トキメキ」の人だ。
彼女は今まで常識とされていた片付け法に革命をもたらした人。家の中にある不要なもの、壊れたものひたすら探し続けるという方法ではなく、片付けで大事なのは何を残すかであると考え、自分がポジティブになれるもの、つまり自分が「ときめく」ものを選んで残すことが大事だと訴えた。
彼女の言っていること、やっていることは、実にシンプルだ。自分でも考えられそうだと一瞬 思ってしまうほど。特別に高度な技術が必要なわけでもないし、仕事を始めるのに大きな資金も、場所も、人件費も要らない。でもそれをすることによって、自分の気持ちも豊かになって、そして片付けで悩んでいた多くの人たちを喜ばせている。
今やこのトキメキ片付け法は、国境を越え、現在 世界のあちこちで受け入れられている。
アメリカでは、「こんまり流の片づけをする」ことを、英語で「kondou(近藤)」というらしい。こうなってくると、わざわざ外国に留学してMBAを取るとかそういうことよりも、自分が気になること、興味をもっていることを自分なりにちゃんと突き詰めていくということのほうが、実はサクセスへの近道なんじゃないかとも思ったりする。
そして彼女の仕事は流行にとらわれることなく、いつの時代にも受け入れられる要素を持っているように思う。
彼女はその後「日本ときめき片付け協会」まで立ち上げ、今まで自分がまとめてきたことを講座にし、片付けコンサルタントを養成している。今後これが世界に広がっていってもおかしくない。搾取されるも人もいないし、仕事を依頼する側と受ける側の両方がハッピーになれる「win-win」な関係で、極めて健全なビジネスに見える。
そしてもう1人は志村ふくみさん。
彼女のことは、「一色一生」という本を読んで知った。現在日本を代表する染色家であり、人間国宝でもある。彼女は31歳の時に染色をやりたいという自分の想いを抑えきれず、染色を一から学んだ人だ。
彼女の文章からは染色に対する飽くなき探究心が見て取れ、様々な人と出会い、自分も究めながら、どんどん染色の深い世界に入っているところが魅力的だ。年月をかければかけるほど、自分が熟成していくような仕事をしてみたいと思ってしまう。
こうやって書きながら、ひとつ思い出したことがあった。それは去年経験したことで、今でも心の隅に残っていて、度々自分に問いかけてくる。食いしん坊の私らしいエピソードだ。
Stay hungry,Back to 本能
ある日の午後を少し過ぎた頃、私は少しお腹の空いた状態で図書館に行った。そして何を借りようかなと思いながら、いつもよく見ている棚のところに行って、本選びを始めた。見慣れた作家の名前、どっかで聞いたことのあるタイトル、これを読んだらまぁ面白いだろうなという本が並んでいる。
でもお腹がすいているせいなのか、いまいちピンと来ないし、集中できない。もやもやした状態の私は本を数冊抱えたまま、気分を変えるつもりでいつも行かない棚を見てみることにした。
そして…。
1冊の本に目が留まった。絵本に関しての本だった。私は大人が読んでも楽しめる絵本が好きでよく読んでいる。とりあえず抱えていた本をカーペットの上に置くと、その本を抜き出し、パラパラめくり始めた。「うわっ、面白い!」と独り言を言う。
改めてその周辺の本を見てみると、他にも絵本にまつわる本がちょこちょこあって、どれも興味をそそられるものばかりだった。気づくとカーペットに座り込み、30~40分ぐらいひたすら本をめくっていた。
そしてふと「あっ」と我に返った。お腹がすいてるのを忘れていた…。
そのとき“70~80%”と“100%”の違いはこういうものなのかと体で感じた。何となくこれをしたら楽しめるだろうなと思うそこそこの70~80%と、自分で迷いなく「これだ!」と思う100%は、こんなにもお腹のすき具合が違うのかと唖然とした。
そのときの感覚は今でもはっきりと覚えている。自分って結構分かりやすいなと思うと同時に、どっちかというとアニマルに近い存在かもしれないと思った(笑)。
今回書いた想田さんの奥さんのご両親も、こんまりさんも、志村さんも職業はそれぞれ違っている。でもこの4人には共通点があると思う。邪心がないこと、自分のやるべきことが頭ではなくヘソのところで分かっていること、自分の心に素直に突き進んでいること。信念を持って働いていること。
だから想田さんの奥さんのご両親も志村さんも(染色を始めた頃はかなりキツかったようだ)報酬が少なくても続けられたんだと思う。そして想田監督も同じタイプに見える。そして自分が思うに、彼らも結構アニマルに近い感覚を持ってるんじゃないか?
もちろんいろいろ考えてはおられるだろうけど、基本的には自分の「本能」を大切にして働いているように感じる。それはちゃんと自分と向き合ってないとできないことだと思う。
自分が思う「豊かさ」で言えば、最初から最後まで関われる仕事で、自分が関心を持っているものに取り組んで、誰かの心にぽっと光が灯るようなことができたらいいと思う。どちらかというと1対1の関係が好きなので、自分のしたことが相手にどう伝わっているかちゃんと確認できる仕事がしたい。
人生一度しかないなら、この後人生がまだ半分も残っているのなら、できれば100パーセントのことを多くやっていきたい。
今はまだそれが何の仕事なのか1つに絞れていないけど、自分の中のアニマル的な部分を信じて、これぞと思うものに巡り合うまで諦めず、今興味のあることから何でもやってみようと思っている今日この頃。この記事を書くのも、その中のひとつだ。
まだまだ模索は続く… The endにはほど遠い。
文:pulmeria(翻訳者)※木の写真も