2021年06月25日更新

動坂食堂。隣にあったら毎日でも通いたいー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.31

作家の森まゆみさんによる連載です。『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に”ずーっとあるお店”にふらりと立ち寄っては、店主やそこで働く人にインタビュー。今回は隣にあったら毎日でも通いたい! 動坂食堂へ。(編集部)

ありとあらゆる人がいる。動坂食堂の歴史


山手線田端駅から徒歩7、8分、動坂の交差点にある町の食堂。明るい店内の壁際にはたくさんの品書きが短冊に書いて貼ってある。刺身も煮魚も野菜炒めも生姜焼きもとんかつも、みんなご飯と漬物と味噌汁付きの定食にできる。

隣のビルに我が弟のやっている歯科医院があり、同じビルの5階に92歳の母が住んでいる。訪ねて一緒にここの食堂に行くのが楽しみ。母はイワシの刺身が好きなので、新鮮なイワシが入るとお店の人が電話をくださり、いそいそと取りに行くという。動坂食堂は一人暮らしの私の母の見守りもしてくださっている感じだ。



相変わらずのお客さん。隅にはすでにビール瓶を2本立てている男性。新聞を読むおじいさん、女性一人客、作業員グループ、背広姿の会社員、携帯をいじっている学生さん、ありとあらゆる人がいる。

三代目の天野篤子さんに、お店の歴史をうかがう。創業は戦争直後の昭和20年。

「私の祖父の吉田左五郎が戦争直後にはじめました。新潟の出身で、北海道の缶詰工場で働いたりした。戦後すぐ、東京に移り住んで、最初はさつまいもを太い針金に通して、壺に吊るして焼いて、売っていました。

そのあと、アイスキャンデー屋をやったり、焼きそば屋、お惣菜屋をやったり。その頃はバラック建てでした。おばあちゃんのスギさんは、四国の人でね。

左五郎の息子が私の父の健次ですが、ミンダナオ島で戦死しちゃったの。タイヤメーカーに勤めていましたが。私は同じ昭和20年の生まれ、父の顔は知りません。子供が3人もいて、志願で行かなくてもいいのに。

でもそういう時代だったんでしょうねえ。向丘の大林寺にお墓があります。私は疎開先の福島で生まれて、4歳の時に兄や姉と千駄木に来ました」



——じゃあ、お母さんは戦争未亡人でご苦労なさりながら、左五郎さんを手伝ってらしたのですか。

「そうです。母のシゲ子は大正12年の生まれで、東京に戻って祖父の仕事を手伝うようになりました。祖父は、私が小学生のころに亡くなりましたが、その後を母が継いで。

そのうち、父の弟の吉田孝吉が進駐軍のコックをやめて店に入ってくれたんです。うちは料理は男の人、フロアは女の人の分担ですね。孝吉さんが店に入ってから、母は中野で一杯飲み屋をはじめて、58歳で亡くなりました」

——シゲ子さん、孝吉さんが頑張られた後、篤子さんが継がれたんですね。

「私も高校を卒業するちょっと前から、少しずつ店を手伝うようになりました。35年ほど前に叔父の孝吉さんも亡くなって、私たち夫婦が継ぐことになったんです。

主人は天野國男、昭和12年生まれ。主人のお父さんは菊坂で大工、お兄さんは家具職人をしていました。当時、隣にあった岡田美容室の裏の二階建てのアパートに先輩が住んでいて、そこに主人が遊びに来て知り合ったんです。

動坂食堂はその頃、バラックでほんと汚くてね(笑)。先輩は平気で食べに来てくれてたんですけど、神経質なうちの主人は「あんな店には行かない」と言ってたらしいんです。それが私と一緒になったので(笑)。

もともとは文具メーカーに勤めていたんですが、そちらを辞めて、調理師免許を取って店に入ることになった。お給料も4万5000円もらっていたのが、うちに来たら1万8000円になっちゃったの。

会社からは、辞められては困ると言われていたんですけど。主人は1年くらい前まで、洗い場なども手伝ってくれたんですけど、この3月に83歳で亡くなりました」

——それは大変な時にお邪魔してしまいました……。

「いえいえ。今はたしかにちょっと寂しいところです。でも仕事はしなけりゃなりませんから、寂しがってばかりも入られませんね。幸せなことに孫が6人、ひ孫は8人いて、近々もうひとり増えますしね」



8割が常連さん。1日に二度見えるお客さまも


篤子さんが常連さんに呼ばれ、お話は四代目、次女の砂織さんにバトンタッチ。

「学生の頃から、忙しいときは手伝っていたんですけどね。短大を出て、証券会社に勤めたんですが、辞めて習い事でもしようかなあと思ってた矢先、お店も手伝ってみれば、ということでそのまま……。だんだん私が継ぐしかないかなあ、という感じになりました。

朝は10時に店を開けます。一日三度来られる方はいませんが、二度見えるお客さまはいますね。8割が常連さんです。動坂食堂と名乗り、今のようなメニューになってからでも、もう60年以上はたっていますね。

この1年は、どこもそうでしょうが、コロナで大変でした。最初の緊急事態宣言の時、ゴールデンウィークだけ一週間、お休みしましたけど、あとはずっと開けています。もともとは夜の10時まで営業していたんですが、今は9時までになりました(*2021年3月末の取材時時点)」

——本当に町の住民においしいご飯を提供してくださるエッセンシャルワークだと思います。嫌なお客さんていますか。

「酒癖が悪かったり、言うこときかない人ですかね(笑)。よそで飲んで酔っ払ってきて、隣の人に話しかけるとか。いくら注意してもやめない。うちは食堂なんで、そんなにお酒を飲むなら居酒屋に行ってちょうだいと言いたくなるときもあります(笑)。ま、めったにいませんが。

好きなお客さん? 若くてイケメンな子が好きですね(笑)。うそですよ。会話の弾むお客さまとは、接客していてほんと楽しいです。学生は東大の学生さんが多いですね」

——人気のメニューはなんですか。

「一番人気はミックスフライかな。海老フライ、白身魚のフライ、ヒレカツ、ホタテのフライなど。生姜焼きも人気ありますね。豚汁も。サバとかサンマは大体いつでもあります。

とくにお刺身や煮魚などは、仕入れに行ってみないとわからないんですけど、メニューはそんなに変わらないですね」



――こんなにたくさんの品数を出すのは、大変じゃないですか。

「ひとりなら、ここまでは難しいと思うんですけど、人数がいるのでね。今は、母と私、娘の莉菜の三代で、フロアは回しています。

調理は私の主人と姉の旦那、娘の旦那、姉の息子と男性4人。夜の洗い場だけ、もう20年働いてくださっているパートさんにお願いしていますが、家族経営そのものです」

――定食屋さんって、女性にも人気がありますよね。

「24年前に建て直すまでは、お客さまはほぼ男性でした。今は明るくなって入りやすくなったせいか、女性のお客さまが増えました。

平日は会社員、土曜は家族連れが多いですね。日曜祭日はお休みです。両親が、平日を休みにすると子供と休みが合わなくなっちゃうからと、ずっと日曜祭日休みでやってきたんです」

お話を聞き終わって、ビールを注文。一番人気のミックスフライを同行の編集者と分けた。自宅では揚げ物をしないので、つい揚げ物を頼みたくなる。

豚汁も頼むと、大きな人参、ごぼう、大根が入ってボリュームたっぷり。そこへ「旬のものですから」と筍とふきの煮物を差し入れてくれた。こちらも絶品。今日は桜も散りかけて、蒸し暑い。冷たいビールが喉にしみる。



各テーブルの上には胡椒、ソース、醤油、塩と唐辛子などの調味料。壁のメニューをつらつら眺めていると、刺身や煮魚、ゴーヤチャンプルーなどにも未練が残る。

——家族経営で喧嘩はないですか。

「ありますよ。そんなのはしょっちゅう。たとえば、自分の思っているやり方と他の人のやり方がぶつかるとか。家族だから言いやすいっていうのはありますよね。でもぶつかっても後に残らないのも、家族だからでしょうか」

店の男性陣にも、家族で仲良く仕事するコツを聞いてみる。根本和明さんが調理場から出てきてくれた。

「やっぱり、みんなで話をしながら仕事できているからでしょうか。意外と言いたいことは言い合えているので、大きな衝突にならないのかもしれないですね」

レジのところに「来る人も 又来る人も 福の神」と木彫りの額があった。



取材・文:森まゆみ


当連載のアーカイブーSince 2018ー

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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。

谷中・根津・千駄木に住みあうことの楽しさと責任をわけあい町の問題を考えていくサイト「谷根千ねっと」はコチラ→ http://www.yanesen.net/
連載もの: 2021年06月25日更新

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