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2019年09月04日更新
谷中銀座の金吉園には、お茶のすべてを知る朗らかな茶師がいるー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.15
作家の森まゆみさんによる連載。『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に"ずーっとあるお店"にふらりと立ち寄っては店主にインタビュー。今回は茶舗金吉園へ。(編集部)
畑まで入っておいしいお茶を探して回ります
谷中銀座は、昔は惣菜横丁だった。魚屋、肉屋、米屋、豆腐屋、焼き鳥屋、天ぷら屋、立ち食いそば屋、貝屋、酒屋……。そのころから他とは違う高級店の佇まいを見せていたのが、お茶の金吉園である。
まず、店が広い。間口こそ3間くらいだが、奥行きがすごく深い。最奥には真鍮に大きな鶴の群れを描いた扉があり、その向こうはお茶を温度管理する蔵になっている。さまざまな種類のお茶を売っている。そして、小さな茶碗に入れたおいしいお茶を出してくれるのが、貧乏主婦の私には嬉しかった。
「どうぞお召し上がりになってください」
ここの主人は関正平さんといい、血色のいいニコニコした方である。腰の低いところに、オシャレに前掛けをかけている。奥さんの満喜子さんは、下町気質の気さくな方だ。
――雑誌「谷根千」でお世話になった方々への恩返し企画で、谷根千にずっとある店だけお訪ねしています。
「もうすぐなくなるかな(笑)。もう80年もやっています。父は関甚四郎といって、大正4(1915)年生まれ、昭和10(1935)年頃、父が20歳くらいから独立して始めていますから。
最初はよみせ通りの、今、魚屋の冨じ家さんがやっている定食屋さんのところに店がありました。昭和41(1966)年に、ここに来たんです。私は学校を出て、他に能がないから跡をやることになりました。
店名の由来もよく聞かれるんですが、祖父の関宇吉が栃木県で岩舟石の石屋をやっていて、その屋号がカネ吉だったんです。それで、親父が金吉園と名付けました。
うちの父は、どこの家にもあるものがいいだろうと、最初、お菓子屋に小僧で入ったら、甘いもの食べ過ぎて、甘いものはもういいや、と。それで今度は渋いお茶が飲みたくなって、十条のお茶屋に丁稚で入りました。昔は行商です。足立区の本木というところでやっていて、その後、西新井で乾物と合わせて店を出したんです。かつおぶしとか昆布とか、卵とか。私も小学校の4年まではそこにいました。4年生の2学期に千駄木に移って、汐見小学校に転校しました」
――どんなお父さんだったんですか。
「まあ、ねえ。勘のするどい人だったな。足立より谷中の方が売れると思ったんだろうね。きょうだいは4人いて、男2人女2人で。私はこの店を30くらいで受け継ぎました。……(ノートを覗き込んで)そういうのをメモしておいて、あとで清書するの? 森さんも大変だねえ」
――録音を起こして、メモを見ながら、原稿を作るんです。それにしても素敵なお店ですね。
「ここは昭和51(1976)年に建てたんです。あちこち見に行って、なるべく古びないようなお店を作りました。この奥の鶴の絵なんかも、前は誰も興味を示さなかったんですが、これは琳派の最後の絵師、鈴木其一(きいつ)のレプリカなんです。酒井抱一の弟子のね。其一も今では大人気で、個展も開かれたりして、外国のお客様も知ってますし、皆さん、写真を撮ってゆかれます。ちょっと時代には早すぎたんですね」
――お茶屋さんの数は減っていますか。
「減ってますねえ。20年くらい前は東京都に1000軒以上あったけど、今は200軒以下になっています。もうお茶は“ペットボトルで飲むもの”になってしまい、お茶の業界はめちゃくちゃです。あれもお茶ではありますが、工場生産ですし、お茶の含有量は少ないですね」
――でも、一方でこだわりのおいしいお茶を求める人がいますでしょ。
「そうそう。その人たちがうちの顧客です。だからそういう人たちが好むお茶を生産者にお願いして作ってもらう。店売りだけでなく、電話やネットで注文を受けて、全国に送っています。ほらここに」
と指差す先には、たくさんの小包が用意されていた。
「お客様のご都合で配達日を指定されますので、これは待機中の分です」
――すごい量ですねえ。
「うちは静岡茶が主体です。実際に生産者の畑に出かけて、どんなお茶がおいしいか、畑まで入って探して回ります。静岡の強みはね。努力していることかな。肥料から肥培管理まで、こちらの話もよく聞いてくれますし。生産者も、もちろんペットボトル用も作りますが、いいお茶を作りたいという気持ちが強いんです。時代を読まなくちゃダメですよ。
それで私どものお茶を飲んで、やっぱりこんなお茶を飲みたいというお茶の好きな方がいるので、全国に2000人以上の顧客がいます。谷中から越してからも、ずっとご注文くださる方もいらっしゃいます」
茶舗も宿も商売の原点は同じ。お客様の気持ちになって考える
――どのくらいの価格帯が売れますか。
「100グラム、1000円から1200円くらいが一番売れます。その辺なら自信をもってお勧めできます。あとは入れ方ですね。おいしく入れてあげたいと思うと、おいしく入る。雑に入れちゃ、いけません」
――耳が痛い。お湯が沸いたら、冷まさないで大きなカップにどどっと入れてしまったりします……。
「みんな忙しいからね。そういう時は、ティーバッグはいかがですか。ティーバッグのお茶はおいしくないと、みんな思っているでしょう。『安心安全のおいしいティーバッグ』というのを、私が生産者とコラボして作ったんですよ。土作りから取り組んで、これを作るのに2年くらいかかりましたかね。座布団みたいな四角い形じゃなく、テトラ型のティーバッグですよ。
もうひとつ、『茶畑の恵み』という、生産者がふだん使いや親戚に配っているようなおいしいお茶も商品として開発しました。芯、芽、茎を残した旨みが全部出ますよ」
谷根千、私の一押し
――今まで長いお仕事の間、危機はなかったんですか。
「ありますよ。紆余曲折だらけですよ。2011年の原発事故の後も。足柄のお茶からセシウムが出たとかで、風評被害で、あの時やめたお茶屋も多いです。でもそれはやめ時だった店なんだね。子供も社員も、誰も跡なんか継ぎたくないよ、社長業の」
――でも、ますますご盛業に見えます。外国人のお客さんも多いですね。
「何を見てくるのかねえ。森さんたちの『谷根千』のせいで、谷中銀座もお客が増えましたからねえ。
うちはなんでも出所のはっきりしたものしか置かないけど、外国人は目が厳しいからね。お茶もどこのどんなものというふうに、素性がわからないと買っていってくれない。英語対応もしています。私はフランス語とドイツ語しかできないんだけどね(笑)。陶器も自分で探して、作家や産地も言える。産地とコラボして独自の商品を作ったりしています。
――陶器などお好きで、集めていらっしゃるんですか。
「集めてるわけじゃないよ。売ってるの(笑)。でもお買い上げ願う、願わないよりも、目で楽しんでいただければいいんです」
――後から出てきた、かき氷のひみつ堂さんとか、和栗屋さんとか、お客さんがすごく並んでいますが、どう思いますか。
「お客様のニーズを的確につかみ、店のポリシーをしっかりと守っているから、繁栄しているんだと思います。よく頑張っているなあ、と驚嘆してますよ」
――昔から、お客さんにお茶を出しているのですか。
「昔は暇だったけど、今はお店に入る方が多くて、なかなか出しきれないんです」
取材の合間にも、こんにちは、こんにちはとお客に声をかける。
――伊豆の今井浜で、旅館もやってらっしゃるのですね。
「一時、いろんな訳があって宿屋を経営していたんですが、もう甥に譲りました。あの頃は、そっちばかり行っていましたね。
でも、商売の原点は同じですよ。お客様の気持ちになって考える。どんな旅館かな、美味しいものが出てくるかな、部屋はキレイかな、と泊まる前に考えるでしょう。それに応えていくことです。お茶だって、自分が飲んでおいしくないようなお茶を売ってたってダメ」
――今は奥様とおいしいものを食べに行くのが楽しみだとか。
「カミさんは店から少し早めに帰って、適当に夕飯作りますがね。でも、週に2回くらい、近くのおいしい店に行きますね。この歳になって逃げられちゃ大変だから、仲良くしてますよ」
なんとも潔い生き方だ。やりたいことをみんなやりつくした人生。
「私が最後の茶師ですよ。茶畑まで入って、茶の生産者と語り合い、仕入れてブレンドして、自信を持って売っているのは、東京でも少ないでしょう。マイスターと称する若い方の知識もそれだけではお茶の真髄とは言えないと思います」
――ところでなんでそんなにシミひとつなく、キレイなお肌なのでしょう。
「そりゃ、お茶飲んでるから」
飄々とした答えが返ってきた。同行したカメラマンや編集者の名前も即座に覚え、来るお客と応対しながら、かかってきた電話に出ながら、取材を受ける。お茶を選ぶのも、売るのも、大好きなんだなあ。その朗らかな姿を眺めるだけで、商売のツボがわかるような気がする。
取材・文:森まゆみ
当連載のアーカイブーSince 2018ー
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.1ー創業67年。町中華の「オトメ」はだれでもふつうに扱ってくれるー
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.2ーモンデール元駐日米大使も通った根津のたいやき
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.3ー甘味処「芋甚」は根津にはなくてはならない、お守りみたいな店である
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.4ー若い二人が引き継いだ「BAR 天井桟敷の人々」には悲喜こもごもの物語がある
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.5ー中華料理「BIKA(美華)」のご主人がポツリと話す根津宮永町の昔話
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.6ー鉄道員から役者、そして寿司屋へ。すし乃池の大将の人生には花と町がある
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.7ー5代続く骨董店「大久保美術」の心やさしい、ゆとりのある家族経営
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.8ー三崎坂のとば口にある朝日湯は谷根千に残る貴重な銭湯ー
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.9ー谷中銀座の貝屋さん「丸初福島商店」は素通りできないご近所の店
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.10ー創業元治元年。江戸千代紙の「いせ辰」を訪ねると暗い気分も明るくなる
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.11ー谷中のちいさな宿「澤の屋」に年間5000人以上の外国人が泊まる理由
森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.12ーいい酒と人柄のよい店主。根津「サワノ酒店」はとびきり好きなお店だ
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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。
谷中・根津・千駄木に住みあうことの楽しさと責任をわけあい町の問題を考えていくサイト「谷根千ねっと」はコチラ→
http://www.yanesen.net/
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