2018年05月08日更新

ささやかな日常を言葉でインスタグラムする。『ピースフル権化』(蒼井ブルー)が描くどこまでもアオハルな世界

平穏な毎日ってなんだろう? やたら慌ただしくイラっとすることも多い日常の中で、なかなか手に入れることが難しい穏やかな暮らしに憧れる人は多いそうだ。よって巷では「マインドフルネス」が流行ったり、のんびりした田舎への移住なんかを若くして考える人も増えてるようだ。

だが、そういったやり方だけが、心豊かな日々への切符なのだろうか? ハードな現実とそれとなく仲良くやりながら、流されるようで流されない。エアポケットのような心の平穏だって存在するかもしれない。

そう思う人はこの本を読むとよいのでは? 『ピースフル権化』。作者は蒼井ブルー。文筆家であり写真家である。Twitterのつぶやきが「ゆるくて、切なくて、笑える」と話題となり、それらの言葉を収録した本もこれまで何冊も出している。

解像度&共感度の高い蒼井ブルーの目線


私は蒼井ブルーの本を初めて読んだ。春にリリースされたばかりのこの新作は、いままでの彼の作品ともまたひと味違うらしい。著者本人と思われるカメラ男子(プロ)の日常が綴られたエッセイ風の日記だが、つぶやき名言集というより小説のように読める。

でも、最初から最後までたいした"ドラマ"は起こらない。この日記に描かれるのは、仕事や恋愛のありふれた話。僕たちがよく知っている毎日のこと。つまり事件やハプニングとは無縁の世界だが、なぜか読んでいて退屈しない。筋書きらしきものもなく、ほぼ内面の独白で占められている他人の物語に、いつの間にかハマれるのはなぜだろう?

それはたぶんこのカメラ男子(筆者)が、かなり"解像度の高い目線"で日常を覗いていて、みんなが「見てるつもりで見えてないもの」にフォーカスする技に長けているからではないだろうか。

例えばこんなくだりがある。

牛丼チェーンで、向かいに座っていた20代半ばくらいのスーツ男子が、泣きながら牛丼を食べていた。泣くといっても、すーっと涙が流れる程度のものではない。「うっ、うっ」と、まあまあの音量で泣いているのである。(中略)
日中の牛丼チェーンで牛丼を食べながら、スーツ姿の男子が泣く理由にはどういったものがあるのだろう。少し想像してみる。

①仕事でミスをして悔しい
②仕事がうまくいってうれしい
③牛丼うめえ

涙の本当の理由は彼にしかわからないが、せめて、あの牛丼の味が彼の癒しとなったことを願うばかりである。(『ピースフル権化』より)


ありそうな話だ。でも、都会生活の中で忙しくしているとついスルーしてしまいそうな、ささやか系エピソード。名も知らぬ牛丼男子に寄り添う、蒼井ブルーのカメラは解像度だけでなく共感度も高い。つまりはエモい。こんなくだりもあった。

ある仕事の打ち合わせ。
A案とB案があって、どちらでいくのがよいか、という議題。が、これらのいいとこ取りをしたC案をうまく作れないだろうか、という話が出る。
「どちらがよいか」に「どちらでもない」を持ち出してくるのは、やる気がないか、とてもやる気があるかのどちらかだと思う。
C案のせいで帰れない。
「いいとこ取り」という表現を初めて用いたのは、どこの誰だったのだろう。「悪いとこ捨て」としなかったあたりに、その人の前向きさが感じられてかわいらしい。(『ピースフル権化』より)


自分の仕事を長引かせる「いいとこ取り」の発案者にまで、"かわいらしい"とのポジティブ評価。読む側も思わずほっこりする。ほかにもいろんなエピソードが出てくる。仕事のお悩みトークも多い。

タイムラインに流れていくウキウキとウジウジの日々


このようにして筆者は、実際には必ずしも「ほっこり」ばかりではない仕事と恋愛の日々を、ピースフル補正していく。忍者的な素早さで日常を切り取り、優しい色味に仕上げている。まるで言葉によるインスタグラムだ。女性ファンが多いというのもうなづける。

この本を読んで思うこと。オシャレな店や旅行に出かけなくとも、"映える"瞬間が日々にある。仕事場と自宅の単調な往復の中にもささやかなドラマがある。本書が描くのはそういった意味での"ピースフルな日常"である。

筆者が往復しているのは、「ウキウキ」と「ウジウジ」が交互にやってくる毎日でもある。憧れのサッカー選手と会えたかと思えば、大きな仕事が流れてしまったり、SNSのタイムラインのように毎日が流れていく。さりげなくポジティブな終わり方もとってもいい。

あえて古めかしく大げさな言い方をすると、『ピースフル権化』はSNS的感性が生んだ新しい文学みたいな? いや、マジ本気にそう思う。筆者がそのことを意識しているかどうかは知らないけど、蒼井ブルーは行き場を失った経験があるのではないか? 

日本では昔から、作家自身の生活を(脚色を交えつつ)リアルに描いた「私小説」の人気が高い。自分の破天荒な生き方(酒・異性・博打に溺れるとか)をドラマチックに描こうとした作家が多いわけだが(全員ではないが)、その流れの中に本書を置いたとき、ピースフルな世界を描く蒼井ブルーは異色の青さ。オヤジな世界と隔絶された、永遠に続きそうなアオハル生活だ。


カバーを取ると青かった

だが、ゆる〜く優しくクスッと笑える草食的色味だけが蒼井ブルーの持ち味ではないだろう。猛獣もたくさん棲息しているシビアなジャングルでピースフルに生き延びるためには、それなりの知恵と覚悟もいる。それを思わせるこんなくだりもあった。

人は、「もうだめだ」と思ったときには、すでにひとりでどうこうできる精神状態にないのだという話を聞いた。はたから見て、「なぜ逃げないのだろう」と不思議に思えるほどのひどい環境にある人が、それでも逃げようとしないのは、そのためなのだという。

「もうだめだ」の時点で遅いのなら、「だめかもしれない」の時点で動かなければならない。逃げる準備を始めなければならない。(中略)

何かを懸命に頑張ったとして、何かを必死に耐え抜いたとして、それでもよくなっていけないのなら、誰だって絶望するじゃないかと思う。ここには、RPGのように闇を切り裂く剣もないし、傷を癒す魔法もない。あと、一度死んだだけで終わる。(中略)

心が死にそうになったとき、だめかもしれないとなったとき、どうかそこから逃げてほしいと思う。逃げる準備を始めてほしいと思う。生きる準備を始めてほしいと思う。(『ピースフル権化』より)


多忙な毎日に流されピースフルな感情が欠乏してる人、「あれ? 五月病かな」みたいな人にオススメの一冊だ。

※これを書いた人がどんな人物なのか気になって、実は著者である蒼井ブルー氏に話を聞いてみた。そのインタビューは別記事として掲載するのだが(現在準備中)、インタビューでは本の具体的中身の紹介があまりできなかったため、先に予告編的にこの記事を書いた。インタビュー本編もぜひお読みください。

記事:河尻亨一(シゴトゴト編集長・銀河ライター・東北芸工大客員教授)
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