働き方も生き方も、多様性にあふれる昨今。だからこそ生まれるモヤモヤ感。
《がんばれる仕事がある。認めてくれる人がいる。 なのに、なんだか物足りない。 》
こんな想いを持ったまま、何となく毎日を過ごしている女性も多いのではないだろうか。かく言う私も、そんな毎日を過ごしていた1人。
このまま、何となくの人生で終わってしまうのかと不安になっていた頃に、知り合った芳中千裕さん。彼女が『淡麗女子のススメ』という書籍を出版した。
淡麗女子とは『女性はこうあるべきという型にとらわれず、自由に自分らしく生きがいになる仕事をもって生きている。経済的にも精神的にも自立し、淡々と麗しく生きる』女性のこと。まさにそんな女性が著者の千裕さんだ。
彼女は行政書士事務所と株式会社を設立し、代表を務めている。また、美容・健康・食のマーケティングスキルを活かし、起業・経営コンサルティング、カウンセリング、店舗プロデュース、マーケティングサポート、商品開発、メディア運営等、幅広く活動。
その他、東京・関西を中心に、大学での講義、企業での講演、起業アカデミーの主催をしている。
安定した堅い仕事であるはずの行政書士事務所の代表をしていながら、どうしてこんなにたくさんの事業に関わっているのか?
千裕さんの出版記念パーティーでお話を伺った。
永遠の二番手にはなりたくなかった
千裕:元々は専門家になりたくて、弁護士を目指していたんです。でも専門家って誰かに使われてナンボなんです。だから永遠の二番手になってしまう。
ずっと人に使われ続ける仕事って嫌だなと思っていました。
会社の意向もあって、勤めているときに行政書士の資格を取りました。その時は独立して行政書士の資格を使う気はなかったんです。
会社を辞めた後、今ある法律等のスキルで出来る仕事を探したとき、離婚相談だなと思って。相談業務をするなら、行政書士になった方がクライアントさんの役に立てると思い、行政書士事務所を設立しました。
専門家の資格を取ったら仕事があると思い込みがちだけれど、そうではありません。なのに、何かやりたいから資格を取るのではなく、とりあえずスキルが欲しいから資格を取る人が多いんです。
私はとりあえず資格でスキルを付けるということはしたくはなかった。自分にやりたいことがないと誰かに使われるだけの仕事しかできないと思ったんです。
私だからこそできる仕事をしたかったので、『1つの専門家』にならないという結論がでました。そして、今まで培った知識や経験を組み合わせた、他の人にはない強みで自立して働きたいと思い、今の様な働き方になりました。
ーー自分らしく生きたい!やりたい仕事を見つけたいと思っているけれど、そのきっかけやチャンスをどうやってつかんでいいのかわからない方が多いと思います。千裕さんはどうやって自分に合う仕事を見つけて自立していったのでしょうか?
千裕:最初は何に向いているのかなんてわからないので、とにかく色々試すチャレンジ期がありました。色んな仕事をしたり、経験をしたり…。いわゆる足し算の時期が人生にあり、ある程度蓄積されていったと感じました。
それが出来たら、今度はどうアウトプットして実際の仕事にしていくかなんだと考えたんです。
アウトプットの仕方として、自分の人生の中で、今まで何に沢山時間を費やしてきたか、何をしているときに夢中になれるかなどを探していくと、必ず仕事になるタネが1つ、2つ、3つ、4つと出てくるので、それらをビジネスという形にしていくだけ。
なので、実は特別な人間じゃなくても誰でも色々な仕事で自立はできると思います。
著書にサインする芳中千裕さん
目の前のことにとにかく一生懸命向き合う
ーーキャリアのシフトチェンジをしている千裕さん。本の中では、自分に合うことがわからず、いろいろな仕事を模索する第1段階、小さく起業して組織から出て独立する第2段階、さまざまなジャンルの仕事に同時並行で携わる第3段階のキャリアを経ることが、現代社会を生きる女性のモデルケースになると書かれていましたが、千裕さんはいつの時期にどう変換していったのでしょうか。
千裕:私の場合、自分に合うことが分からずに色んな仕事を模索する第1段階の時期は大学生から会社員時代にかけてでした。この頃は雇用形態に関わらずに、アルバイトでも契約社員でも正社員でもいいので、とにかく色んな仕事を経験するといいです。
私は大学時代に塾の講師からメイクモデル、巫女まで、色々なアルバイトを経験し、会社員時代も法務からマーケティングまで色々な部署を経験したことが良かったのだと思っています。
大学生の時にNPO法人を立ち上げ、継続しながら、大学院に進み、その後2年間研究員になり、28歳で会社員になりました。でも、最初からサラリーマンは3年だなと思っていて。
とにかく3年は、吸収できることは吸収しようと思っていたのです。
会社員最後の方は、雇われるということに、もう疲れ果てていました。そして実際、3年で会社を辞めました。その時、タイミングだと思い、小さく起業して独立する第2段階にキャリアシフトをしたんです。
ーーでは、独立して、仕事や収入が安定したのはいつの時期だったのでしょうか?
千裕:独立して半年後ぐらいです。最初の頑張り過ぎていた時期は、数字ばっかり追いかけていて、今月より来月どうやって売り上げをあげていくかをずっと考えて、がむしゃらに働いていました。
でも、過労で倒れてしまったんです。
必然的に今来てくれているお客さんにとことん向き合うしかなく、他のことはできない状態になりました。でもその時に、自分のことより、目の前の人に何ができるかということに目線を向けた方が仕事もやりやすいなと気が付いたんです。数字を追いかけることではなくて。
考え方が変わって、心も体調も安定してきました。
数字を追いかけることをやめてから、目の前にあることに集中でき、私がどういう影響力を与えられるのかということをとことん考えて行動していくことができました。そうすると、収入もぐっと増えていきました。
目の前のことに、とにかく一生懸命向き合うことを続けていたら、できることがどんどん増えていくんです。相手にとっていい選択をしていこうと思い行動していくと、仕事が増えていくと実感しました。
色々な方と仕事をし、色々な事業に関わっていくようになったのはそのおかげです。その頃に周りからこの仕事を頼んでみようかな? と思われる人に変わったのかもしれないですね。
ーーこの頃が1つの人生のターニングポイントだったんですね。変わるタイミングってどうやってわかるのでしょうか。
千裕:よく聞かれる質問なんですが、あ、今がタイミング!ってわかるものじゃないんです。
振り返ってみて、あのときだったのかな~と思うことはありますが、ターニングポイントにいる時期は本人にはわからないものなんです。ぱっと変われるものじゃなく、徐々に変わっていくものなんだと思います。
この本を読んだ皆さんも、徐々にシフトチェンジし、もっと自由に自分らしく生きていくきっかけになると嬉しいです。
今はわたしたちがもっと自由に生きられる時代
ひとつの職種にとらわれずに、さまざまなジャンルの仕事を同時並行で進めていく彼女の働き方は、ただキャリアを積んでのし上がった!というものとはちょっと違う。
彼女はこんな風に言う。
お金のためだけに働く:酸欠女子
好きなことやワクワクのために働く:燃焼女子
生きがいのために働く:淡麗女子
これは淡麗女子のススメの書籍にも詳しく書かれているが、酸欠女子や燃焼女子の時代を抜け、人のために貢献できる、そんな淡麗女子に1人でも多くなってほしいと。
皆が淡麗女子になれると、世界はより優しく繋がっていくことが出来るからだ。
世界は不公平だと感じていた酸欠女子時代があったからこそ、言い訳をやめて目の前のことに、本気になることの大切さに気が付けた。そして、周りと闘って結果にこだわる燃焼女子時代があったからこそ、物理的な結果にこだわらず人と繋がる尊さを知った。
世間体や常識からも自由になり、自分の基準で生きることを始めたら、人生が変わったと千裕さんはいう。
美しく、しなやかに、潔く生きる≪淡麗女子≫
この旗のもとに集まる人たちは、自分らしさを持った人ばかりだ。
意見を交換しあえ、応援もし、依存しない。住んでいる場所や生きてきた年数という垣根を越えて自然に繋がれるのが、淡麗女子である。
淡麗女子は、自分の考え方と行動次第ですぐにでもなれるものなのだ。
記事:前田ひろ子
書籍『わたしたちはもっと自由に生きられる 淡麗女子のススメ』(著者:芳中千裕/出版:みらいパブリッシング)
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