2018年01月06日更新

目の前の出来事こそが世界に繋がっているー建築家・山嵜一也のコラム連載「イギリス人の割り切った働き方」最終回ー

ノキア製の"遺産携帯電話"を見ると思い出すこと


自宅デスクのキャビネットを掃除していると、イギリスで使っていた角が剥げたノキア製の携帯電話が出てきた。北欧デザインの携帯電話とは言え、今見るとスマートさの欠片もない遺産プロダクトである。

世紀が変わる2000年ぐらいまで、日本の携帯電話は世界をリードする先端技術で、ガラパゴスの名のもとに独自の進化を遂げていた。それゆえ、メールの送受信、写真も取れるのが当たり前の日本の携帯電話を所有していた人間からすると、イギリスで手にした携帯電話はどう見ても数世代前の昔のものにしか見えなかった。

仕事は見つかったもののビザのことや不安定な雇用契約で明日のこともわからないという日々では携帯電話を長期に渡って契約するという発想もなかった。しかし、勤務先のボスにしてみれば、スタッフと連絡が取れないことほど不便なことはない。それゆえ、この携帯電話は勤務先から買い与えられた私のイギリスで始めての携帯電話だったのだ。

イギリスの通信事情は遅れていた。もちろん、インターネットで動画を見るという時代ではなかったので通信速度が今より悪かったのは差し引いても、“ピー、ガラガラ、、”というダイヤルアップのモデム音をイギリスで聞いた時には懐かしさと同時に寒々しさも感じた。

日本への国際電話はオフライセンスショップという現地のコンビニエンスストアのような怪しげなお店で購入したスクラッチ式の格安プリペイドカードを使っていた。日本の受け取り側が話し中で、何度もかけ直しているうちに残高がなくなってしまう不思議なカードだった。

それでも海外で生活するのに英語を身に付けるため、現地の生活に慣れるために日本の情報は敢えて入れまいとしていた。

外に答えを求めるのではなく、内に答えを見つける


だからイギリスに渡ったとき、それまでのように好きなように本が読めないのは寂しいかな、と思ったりしていた。日本のいたときには本を読んではいたが、手元に本のない私はロンドンの屋根裏部屋のフラットで面白い読み物を見つけた。それは自分だ。

変な話、英語をそんなに話せるわけでもなく、日本人の知り合いもいない私は一人でしゃべる、自問自答、独り言で考えるようになっていた。声に出してはいないかったが、それまで日本で大量に浴びていた情報の断片の集まりが、繋がっていった。

数学者・岡潔は『純粋直観、いわゆるヒラメキが生まれる状態はリラックスしている状態である』と言ったが、当時の私の頭の中は余計な情報が遮断された状態で、様々な情報の断片のパズルがカタカタと繋がっていく感覚があり、毎日の発見を一人楽しんでいた。渡英した日本人の大先輩、夏目漱石ではないが明るいノイローゼだったのかもしれない。しかし、私は自分のウチ側に向かっていった。

日本を離れた海外の生活で身に付くこととは、ソトの世界を見る、外国の世界に触れて視野が広がることと言われている。しかし、孤独に耐え、ウチなる自分と正面から向き合うことこそも、日本の情報が遮断された海外生活ならではの醍醐味なのではないかとおぼろげながらに感じていた。

ソト(他者)に答えを求めるのではなく、ウチ(自分)に答えを見つける。母国という言葉や思いが通じてしまう社会に対して距離を置くことで、自分のウチ側に答えを見つけるようになっていくのだ。

海外に出て始めて知ることがある。いろんな生活がある。内戦、経済不況、震災、政治不信、独裁政治、人種差別。日本にいたらテレビ番組のニュースや新聞でしか聞いたことない世界情勢に心配する人が勤務先のデスクを並べて仕事をし、シェアをしているフラットの屋根の下で一緒に生活していたりする。日本にいたら自分の国を、その国籍を、そして自分自身を相対化してみることはない。日本にいてアジア人に間違われることはまずない。

これから世界を目指す人へ


違う世界を行きていることはネタになるだろうから、また海外特有の孤独から逃げるためにSNSに投稿をし、いいねを期待してしまう気持ちもわからないでもない。また孤独な夜にスマホで母国語の情報を追いかけてしまうかもしれない。

しかし、J-POPの聞こえてくるイヤホンのを外し、スマホから目を離して移動の車内の乗客を眺めるだけでも現地の世界が広がる。

もし、これを読んでいるあなたがこれから海外に出る、もしくは既に外国で生活しているのならば目の前のパソコン、またはスマホから目を話、異国の地で目の前に流れるリアルな風景に目を向けるというのが一番の刺激になるはずだ。グローバル化を目指す、と言われて久しいが、結局は目の前の出来事こそが世界に繋がっている、すなわちグローバルであるという想像力がなければ、世界は広がらない。

通信環境が悪かった当時を良かったと肯定するわけでも、負け惜しみを言っているわけでもない。ただ、世界を見たいという思いで日本を飛び出した私が2000年代初頭のイギリスでネット環境が悪い世界を生活したのはラッキーだったのだと、野暮ったい北欧デザインの未だに捨てられない携帯電話を眺めながら思い出すのである。

文・写真:山嵜一也

(当連載のバックナンバー)
★vol.1:勢いだけで日本を飛び出した私がロンドンで経験したこと
★vol.2:ロンドンバス運転手に働き方の神髄を見た
★vol.3:食の繋がりで仕事が回るのは世界共通?
★vol.4:海外就活の中で見えたイギリス人のやさしさ
★vol.5:突然の解雇通告への気持ち対策は“失意泰然、得意冷然”

執筆者プロフィール

山嵜一也(やまざき・かずや)

山嵜一也建築設計事務所代表。1974年東京都生まれ。芝浦工業大学大学院建設工学修士課程修了。2001年単身渡英。観光ビザで500社以上の就職活動をし、ロンドンを拠点に活動開始。2003〜2012年に勤務したアライズ・アンド・モリソン・アーキテクツでは、ロンドン五輪招致マスタープラン模型、レガシーマスタープラン、グリニッジ公園馬術競技場の現場監理などに携わる。2013年1月帰国。東京に山嵜一也建築設計事務所設立。第243回王立アカデミー・サマーエキシビション入選、イタリアベネトン店舗コンペ入選、大阪五輪2008招致活動で戎橋筋にオブジェ展示(DDA賞)など受賞多数。女子美術大学非常勤講。2016年『イギリス人の、割り切ってシンプルな働き方− “短く働く”のに、“なぜか成果を出せる”人たち−』を上梓。

★山嵜さんの書籍とTwitter

『イギリス人の、割り切ってシンプルな働き方』(ビジネス書:カドカワ):http://amzn.to/2ckShwI
『そのまま使える 建築英語表現』(建築書:学芸出版社):http://amzn.to/2bcJMjY

Twitterアカウント:https://twitter.com/YamazakiKazuya/  
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