私たちの人生にたびたび訪れる”転機”を考える連載企画。「転機のつくりかた」をテーマに、様々なジャンルで活躍する人々にお話を聞いていく。
この連載のきっかけになったのは、『トランジションー人生の転機を活かすために』という書籍だ。その本を読んだことは私自身、ひとつの転機となった。
”転機”と言えば、新しい何かを始めた後の華やかな成功ストーリーが語られやすいが、本書が面白いのは、それが始まる前の自分の「終わらせ方」にフォーカスしていること。事実、何かが終わらなければ何も始まらないのである。
そこが興味深い。転機を生かすには、まず「終わらせ方」に注目する必要がある。
そこで今回インタビューしたのは、(株)オヤノミカタの松井知敬さん。
「毎日の家事を快適にしてくれる洗剤」や「子どもも親も楽しめて学べる遊具」といった、”親の味方”になる商品をオンラインで販売する事業や、”親”たちと”親の味方”たちが集うイベント事業など、独自スタイルの会社を立ち上げた松井さんだが、30代前半のワーカホリックな日々をどうやって終わらせたのだろう?
専業主夫になっても「仕事第一」だった
——今回、「30歳、転機のつくりかた」という企画なのですが、松井さんが30歳の時は、どんな働き方をしていたのですか?
松井知敬さん(以下、松井):フリーランスとして働いていました。
大学卒業後、広告代理店で1年働き、その後フリーです。フリーランスとして7年経った頃、ディレクター業務が増えてきたんですね。デザイナーやプログラマーへの指示を出しやすいなどの理由から、仕事を受注していた先の広告代理店でまた働くようになります。それが31歳でした。
当時はワーカホリックな働き方で、明け方まで働く、ということもありました。
——36歳で起業されたとのことですが、なぜ起業しようと思ったのでしょう?
松井:仕事外で、IT系の集まりに顔を出すようになり、そこで出会う人たちが「自分のサービスで世界を変えるんだ」とギラギラしていて。それを見て羨ましく思ったんですね。
もともと、学生の頃から「起業したい」と思っていたんです。自分にしかできないこと、人と違うことをしたい。自分なりの価値を追究していった結果、起業にいきつきました。
——起業当時は、3児の親だったと思うのですが、迷いや家族の反対はなかったのですか?
松井:迷いはなかったですね。もともとあまり妻に相談をしないタイプだったのですが、起業する前は流石に妻に相談しました。「家事や育児もするから」と言って起業しました。
——松井さんが、専業主夫になった時のことを教えてください。
松井:専業主夫になり半年経つまでは「仕事第一」だったんですね。だから、仕事のスケジュールが入ったら、家族の予定を変更してまで仕事をしたり。
電話がかかってきたら、子どもに対して「静かにしろ」と言って静かにさせたり。
家事や育児もすると約束しながら、「妻は起業する自分を支えてくれるはず」と期待している自分がいたり。
子育てがうまくいかない時、妻に「できない」と泣き言を言うと「家事や育児もするという約束なんだから、自分でなんとかしなさい」と言われて憤りを感じる自分がいたり。
今思うとすごくわがままだったな、と思うのですが。仕事第一という考えを覆すことは、自分の人生そのものを否定する、くらいに捉えていました。
子育ては仕事と同じ次元で捉えられない
——「仕事第一」という価値観は何がきっかけで変わりましたか? そこに違和感を抱きつつ、実際には変えられない人が多いと思うのですが。
松井:子育てがうまくいかなかったことですね。実は、妻に専業主婦をしてもらっていた時、大変だとは思うものの共感はできなかったんです。子育てを仕事と同じような次元で捉えていて、「仕事ができないやつ」くらいに思っていた。
でも、いざ自分がやってみると、育児書を読んで勉強して試してみるけど結果が出ない。
ついには長男が学校に行きたくないと言ったり、長女も受験へのストレスからか当たり散らすようになって。やっと子育ての難しさに気づいた。「これじゃいけない」と思い、それから毎日のように妻と腹を割って話すようになりました。
そうすると子育てのことだけではなく、仕事のことや生活のこと、自分のことを俯瞰できるようになったんです。
私にとって主夫生活は、心の奥底にあって意識したこともなかった「信念」に触れ、それを一度打ち壊して構築し直した時期でした。
主夫として子どもを育てるため、そうせざるを得なかったというのが実情ではありますが、これほど生き方を変えることになった経験はありませんし、この先もないと思います。
悩める大学生の頃、とある方に「夢を追いかけていい」と言われ、生き方が変わったという経験はありましたが、決して「信念」が変わった訳ではなく、今回の”転機”とは比べ物になりません。
「信念」を変えたかったわけではないのですが、これまで経験したことのない主夫という環境に身を置いたことで、思ってもなかった思考が生まれた感じです。
それでも仕事は生きがいなんです
——自分を俯瞰するプロセスの中で、松井さんの中で、何が「終わった」のでしょう?
松井:「仕事は優先されるべきである」という考え方ですね。「仕事第一」だったので、仕事や会社に合わせる働き方をしていたのですが、そういった働き方も終わりました。
その代わり手に入れたのが、「こうありたい」という生き方や生活も大事にする働き方が大事だという価値観です。
これは、オヤノミカタのスタッフにも同じだと思っていて。だから、「自分のできる範囲で、無理せず仕事をしてね」と言っていますし、「この案件をしたい人がいますか?」と聞いて手を挙げた人に仕事を任せるようにしているのですが、手を挙げる人がいなかったら、それでいいと思っています。
また、子育てに対しての考え方も変わりました。主夫をしてしばらく経って、子育ては「旅」のようなものだと考えるようになりました。旅は目的地に到着することが目的ではなく、道中も楽しみの一つですよね。子育てもプロセスを楽しもうと変わって、楽になりましたし、家族の関係も変わってきました。
——今日はありがとうございました。最後に伺いたいのですが、松井さんにとって「仕事」とは何ですか?
松井:基本的に仕事って生きていくための手段だと思いますが、私の場合、人生の生きがいとして仕事で成功したいという想いが強いです。
成功したいという想いを持つ人は多いと思いますし、人によって領域はいろいろあるかと思いますが、私の場合は仕事で成功したい。それが自分の中の「なりたい自分」です。
自分の価値を世の中に提供するための手段といえば聞こえはいいのですが、結局は自分の心の満足のためなのではないかと思います。
起業して会社やサービスを継続できるということは、人に必要とされているということですから、やっぱり嬉しいですよね。それが、わたしの心の満足。
日々の幸せを考えるようにはなりましたし、ワーク・ライフ・バランスを考えるようにはなりましたが、仕事が生きがいであることは今も変わらないと思います。
松井知敬氏
仕事が生きがいであるという価値観は変わらなくても、働き方が大きく変わった松井さん。主夫生活という"転機"は「仕事第一」という働き方を終わらせ、その代わりに「こうありたい」という生き方や生活も大事にする働き方が始まったそうです。
聞き手・構成:國定若菜
Profile:松井知敬
「親の味方」となる会社、(株)オヤノミカタの代表。独学でWebデザインやWebマーケティングを学びながら、フリーランスとして7年間活動。その後、京都の広告会社にデジタルマーケティング部門の責任者として勤務。ワーカホリックな会社員生活を4年間続けた後、起業。
起業準備中は3人の子どもを育てる専業主夫になるが、日に日に自身も子供も荒んでいった経験から、「親の味方」の必要性を痛感した。(株)オヤノミカタのミッションは「親たちの負担を減らし、笑顔を増やす」。事業領域を固定せず、様々な事業者と協働していく独自の事業スタイルを実践している。
「オヤノミカタ」サイト:
http://www.oyanomikata.com
※この記事は仕事旅行社による
「編集職人募集プロジェクト」 のトライアルとして作成されたものです。
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