キミたち人間の世界では、ジコケイハツボンとやらがあるらしいな。
なに、近頃ご主人がしきりに読んでいるのだ。えーと、なんだ。『嫌われない勇気』やら『人を動かす』やらだったか。「学校というのは狭い世界だから、ジコケイハツボンを読んで自分を高めないといかん」と、ご主人は我輩を撫でながらひとりごちていた。中学教師の世界も大変らしい。
人間にはジコケイハツボンがあるように、我輩たちねこにも「ねこ啓発本」があって、意識高い系ねこたちがこぞって読んでおる。
なに? ねこにも意識高い系があるのか、だって?
やれやれ。当たり前のことを聞きなさるな。ねこの世界にもちゃーんとある。たとえば、こんなことを実践しているのが意識高い系ねこだ。
「はたらかない」
「スキあらば寝る」
「自由でなければねこでなし」
「人を動かす(餌をもらうため)」
どうだ。意識高いだろう? こういった生き方を指南した本が、ねこの世界では人気があるのだ。どれ、これからそんな本のいくつかを、ニンゲンのキミにも紹介してやろうじゃないか。
『コンビニ人間』
コンビニというものは本当に便利だな。コンビニの入り口の前に座っておると、親切な人間が頭を撫ぜてくれたり、ゴハンをくれたりするので、重宝しておる。とくに我が家の近所のコンビニにいるアルバイトの女子大生は、いつも仕事上がりのときにキャットフードをくれるのだ。あの娘、我輩に惚れておるな。
そんなコンビニで働く人間を主人公にした小説があるというので、読んでみた。たしか、『コンビニ人間』という本だ。
主人公は、大学卒業後に就職せず、コンビニのバイトを18年続けている古倉恵子という女性。36歳独身である。古倉は家庭でも学校でも、相手から求められる言動がわからず、「普通」になれずに悩んでいた。そんななか、マニュアル通りに動けばいいコンビニでの仕事を通して、「普通」の人間としての振る舞いを身につけていく。古倉にとっては、コンビニだけが自分を世界の正常な「部品」にしてくれる、安らぎの場所だったのだ。しかし年を重ねるにつれ、独身でコンビニのバイトを続けることが周囲の「普通」ではなくなっていることに気づき…。
物語の結末はぜひ本を読んで欲しいのだが、この小説はコンビニの仕事に自分の存在意義を見出すという、現代の人間が持つひとつのアイデンティのあり方を示しておる。と、ご主人が感心しておった。
自分らしく生きれなくてもしょうがない
ところで、我輩の友達に、太郎という三毛猫がおる。太郎は一人暮らしのばあさんに飼われているのだが、愚痴を言っておった。「ばあさんは晴れた日になると、僕に水玉模様の服を着せ、首輪までつけて散歩に出かけるんだ。たまったもんじゃないぜ」と。
可哀想な話じゃないか。ねこの実存(レーゾン・デートル)は、自由にあるのだ。なのにそのねこに服を着せ、首輪を着け、などとは矛盾しておる。そもそも「太郎」は犬の名前と相場は決まっておるじゃないか。我輩はおばあさんに行ってやりたい。「犬を飼え!」と。
おかしいと思うか? だが人間も同じだろう。『コンビニ人間』で描かれたのは、人間社会の矛盾したコミュニケーションだと我輩は思う。つまり、「自分らしく!」とか「嫌われてもいい!」ということがもてはやされる一方で、実際に周囲と異なる行動や言動をとると(たとえば36歳の女性が独身でコンビニで働いてるとか)、後ろ指を指されるのだ。キミも心当たりはないか?
もしそうだとしたら、「自分らしく」生きられない自分を責める必要はない。自分らしく生きられないのは、矛盾したことを求められているからかもしれない。だとしたら、自分を責めるんじゃなく、「社会、この野郎」「会社、この野郎」と、誰かのせいにしちゃうのもアリだろう。我輩たち意識高い系ねこならそうする。その方が楽だもの。
おわりに
そういえば、近頃はねこの世界で、ねこカフェに雇われるねこたちがおる。ひとつの空間に囲われて、おやつの時間だけ「にゃー」とニンゲンにすり寄って、それ以外はずっと寝ているらしい。
我輩の周りの飼い猫たちは「あいつら、ねこの尊厳を放棄している」と斜めに見ているが、なかなかどうして。ねこカフェのねこだって、現代社会をしたたかに生き抜いているように我輩には思える。
我輩もそのうち、『コンビニ人間』ならぬ『カフェねこ』という小説を書いてみようか。
我輩のプロフィール
雄。野良の経験を経て、現在は中学教師の家で飼われている。趣味は哲学と読書と昼寝。好物はメンマ。名前はまだない。
聞き手:山中康司(働きかた編集者)
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