2017年02月24日更新

田中翼の「あの人の仕事場に行ってみた日記」vol.5ー花屋の渡辺邦子さんは、仕事を仕事と思ってない!?

白い木造の建物に、絡まる緑のツタ。店内には白と緑を基調とした淡い色の花々が並ぶ。西荻窪の住宅街にある花屋「エルスール」が今回の訪問先だ。

雰囲気の良いお店というのは、いくつか知っているが、「エルスール」ほど自然に世界観が表現されているケースはあまりない。例えば、木の看板の色落ち具合、腐食の進行度合い。発注書などをクリップする真鍮(?)の壁掛け。細部までこだわっているのがひしひしと伝わってくる。ここまで徹底的な世界を生み出せるのはなぜか。代表の渡辺邦子さんの頭の中を覗いてみたいと、お話をうかがってきた。


6人家族で4人兄弟の末っ子。一番上の姉とは10歳も離れている。兄弟というより、みんな親みたいな感じだった。何かを争う兄弟間の競争みたいなものは全くなかった。何事も彼女が最優先。暗黙の了解みたいになっていたという。

そんな彼女がデザインに目覚めたのは高校時代。家庭科の先生が母親に「(邦子さんを)絶対にデザイン関係の学校に進ませてほしい」と勧めてくれたのをきっかけに、服飾学校に興味を持ち始める。当時、姉が結婚して東京にいたため、姉の所に下宿しながらであればと、文化服装学院に入学する。

当時の文化服装学院には、高田賢三氏(KENZO)や三宅一生氏(イッセイミヤケ)らが在籍しており、彼らの影響力は絶大だった。そんな学校を卒業したにもかかわらず、母親から「働く必要はございません。もう終わったから家に帰ってらっしゃい」と渡辺さんは実家に連れ戻されてしまう。

自由を手に入れるために考えた


どうしたらいいのか考えて、彼女がたどり着いた結論はなんと結婚。結婚して家を出れば、自由になれるのではと考えたのだった。
「当時たまたま良い人がいたので、とんとん拍子で結婚を決めました。」
すぐに3人の子供も生まれ、いわゆる専業主婦になった渡辺さん。子育て中は専門学校で習った服飾知識を生かして、持ち物を染色したり、編み物を作ったり、アクセサリーを作るために彫金にも挑戦したりしながら家庭生活を満喫した。

――いくら母親であっても女性を忘れてはいけない

「ちょっと自慢じゃないんですけど、私ずっと家庭の匂いがしないって言われるんです。家庭のことはすごく好きで、子どもも育てたりするんだけど、言われたことがないんですよ。家庭の匂いがするって」
彼女のこだわりのひとつに、いくら母親であっても女性を忘れてはいけないというものがある。自宅にいるときでも化粧して、身なりを整えて。常に女性として美しくありたいという想いがあるという。「きらびやかじゃなくて、緊張感みたいなものは持ち続けたいと思っています。」

――離婚しても、きちっとした女性として生きていく姿を見せなくてはいけない

主婦生活は魅力的だったものの、諸事情により、シングルマザーとなる。当時子供3人はそれぞれ小学生、中学生、高校生。子供たちにも、自分が生きる姿勢を見せなきゃいけないという思いが強くなる。もちろん生活していくために仕事もしなくてはいけない。

「だらしのない人じゃ駄目だから、きちっと自立する、きちっとした女性として生きていく姿を見せなくてはいけない」。
そこで、人材派遣会社に登録し、仕事のなかでもより服飾の知識を生かせる伊勢丹のオーキッド(伊勢丹の特選洋服売り場)に就職を果たす。


お花は、自分で全部の世界を創り上げられる。


元々デザインに興味のあった渡辺さんだが、競争の激しい服飾業界で、華の仕事であるスタイリストやデザイナーを目指すのはいばらの道だった。自分にできることは他にないのか? と考え、ある日自腹で花瓶を買って、お花を買って、マネキンの前に活けてみる。

今では服の周辺に装飾を行うのは当たり前ですが、その当時は誰もやっていませんでした。ぽんって置いたら「いいじゃないか。会社が出してやるからやってみよう」と、上長からお墨付きをもらう。

「花を生けるのは楽しかったお花は自分の世界、自分の表現ができる、自分を表現できて自分の好きな色、好きな形、器、全部で自分の世界を創り上げられる。花はもう本当にみんながえーって言うぐらいできちゃうんですよ。ブーケだろうが何だろうが全部できちゃう。」

これを機会に、ほぼ未経験状態にもかかわらず、エルスールをオープンする。

――損得は一切考えていない

損得を一切考えない性格なので、お願いされたことは基本的に「ハイハイ」という感じで受けている。すると、お客さんが、いろんな仕事を持ってきてくれる。例えば、君島一郎先生(服飾デザイナー)が発表会をやるので、そこで花を出してみないかというお誘いを受けたり、「家庭画報」からブーケの制作依頼をもらったり、キャンドル作家とコラボレーションしないかというお誘いをいただいたり、仕事がひとりでに広がっていった。

お金にもあまり執着がないため、花の買い付けに行くと、まずきれいという感覚からすべてが始まる。周りから値段を見るように促されても、「うるさいなあ、売れればいいでしょう」「美の世界ですぐお金のこと言わないでください」といった風だ。それでもちゃんと自分がいいと思ったもの、美しいと感じたものは売れるという。

――自分の性格的に、いつまでたっても満足はしない

「80までが動ける期間だとすると、最近残りの日数に何をすべきか考えるようになった」。最近は、今までずっと忙しくて遠出が出来なかったので、外国旅行によく出かけているという。しかし、単純に遊びに行っているわけでは無い。海外の花屋の魅力を取り入れようとしている。

「死ぬまでより良い仕事を追い求めていく気がする。自分の性格的に、いつまでたっても満足はしない。渡辺邦子という女性として生まれて、ここまで過ごしてきて、そしてこれからどうやって生きていくか。」
渡辺さん、そしてエルスールはこれからも進化し続ける。


私は私。流行ろうが流行らなかろうが、1人でもやる。


「私、今やっていることを仕事って思ってないのよね。」彼女にとって重要なことは、女性としてどう生きるか。花屋の仕事も、その生き方の一部であり、苦役や稼ぎのための仕事としてくくり出して考えたことは無いという。

だから、人の目は気にしないし、人に何を言われても気にしない。優等生になろうとも思わないし、何かを成し遂げなきゃみたいな気持ちもない。「私は私でやってる。流行ろうが流行らなかろうが、1人でもきっと同じことをやっている。」
その代わり人を傷付けたり、人を利用したり、そういうことは絶対にしたくない。自分のルールの中でやるっていうのが私の生き方であり、仕事。

話を聞いていると、渡辺さんの行動指針は極めてシンプルであることがわかる。
「より自分らしい生き方をつくるために、改善し続ける。」
わき目もふらず、自分の世界観を追求した結果が「エルスール」の自然に世界観に繋がっているのだろう。

Profile

渡辺邦子(わたなべ・くにこ)
西荻窪「エルスール」代表

Interviewer

田中翼(たなか・つばさ)
1979年生まれ。神奈川県出身。米国のミズーリ州立大学を卒業後、国際基督教大学(ICU)へ編入。卒業後、資産運用会社に勤務。在職中に趣味で様々な業界への会社訪問を繰り返すうちに、その魅力の虜となる。気付きや刺激を多く得られる職場訪問を他人にも勧めたいと考え、2011年に「見知らぬ仕事、見にいこう」をテーマに仕事旅行社を設立し、代表取締役に就任する。100か所近くの仕事体験から得た「仕事観」や「仕事の魅力」について、大学や企業などで講演も手掛けている。


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