なんだかちょっと時間が空いてしまったような気もするが、働くことであれこれ悩んでいるお前ら迷える子羊たちに向けて贈る、たぶんあまり役立たないであろう俺の世迷言も気づけばもう第三回だ。
序破急で言えば急。起承転結で言えば転。本来なら、この辺りでいよいよ「おお、なるほど!」とお前らが驚いたり納得したりするようなことを書かなければならないのだろうが、俺はそんなことはしない。まったくしない。する気もない。ただ思うがままに淡々と第三回を書き進めていくだけだ。そもそも役立つ気がないからな。わははははは。
どうだこのストイックな態度。惚れ惚れするだろう。惚れても何も出ないがな。ちなみに、このストイックという言葉はもともと古代ギリシャのストア学派が由来になっているわけだが、ここではまったく関係がない話なので省略するぞ。先生は教えないので、気になるお前らは自分で調べなさい。
ともかく、この第三回を書くに当たって俺がまず最初にやったのは、第一回と第二回を読み直すことだ。なにせ時間がけっこう空いているし、その場その場の勢いで書いているから、俺自身も何を書いたのかすっかり忘れていたってわけだ。わははは。いやあ、俺も適当すぎるよな。まあ、どうせお前らだって何も覚えちゃいないだろうから、ここはいい機会だと思って、俺に歩調を合わせて第一回と第二回を読み直しておけよ、いいな。
★浅生鴨の「働かない働き方」vol.1ー仕事とは逃げても逃げても先回りして俺を捕まえにくるモンスターのような存在なのだ
★浅生鴨の「働かない働き方」vol.2ーそれは、ひとことで言えば、他人のためではなく自分のために働く働き方ということに尽きる
じっくり読むと、ところどころつじつまが合っていないところもあるように思うが、ぜんぶ勢いだけで書いているんだから、これはもうしかたのないことだ。お前らもその辺はちゃんと広い心を持って、小さいことにはこだわらずに受け入れるように。
ええ。夜遅くまで残業することがカッコいいのだと信じていた時期が私にもありましたよ
さて、それじゃそろそろ本題に入ることにしよう。第二回の最後を見ると、仕事というのは「自分が楽しいと思うことだけをやるか、やっていることを楽しむだけでいい」と書いてある。いやまったくその通りだよ。いいこと言うじゃないか。「絶対にやりたくないことは何があってもやるな」とも書いてある。ほほう。いったい誰が言ったんだろう。そう、俺だよ、俺。さすがだな。お前らもそう思うだろ。
ところがだ。ここでお前らの小さな声がだんだんと聞こえてくるわけだ。楽しいこと、好きなことだけやるなんて無理。嫌なことだってやらなきゃならない。だってそれが仕事なんだから。俺の私の前にはつまらない仕事しかない。こんなの好きになれない。どうせ俺なんて。どうせ私なんて。どうせ、どうせ、どうせ。ああ、わかる、わかるよアミーゴ。俺にもわかるぜ、そういう気持は。俺にもそういう時期はあったからな。
ええ。夜遅くまで残業することがカッコいいのだと信じていた時期が私にもありましたよ。ええ。ああ忙しい休みがないと愚痴ってみせるのがデキる男だと思っていた時期が私にもありましたよ。ええ。真夜中のオフィスでたった独りキーボードを打っていると、自分でも知らず知らずのうちにこぼれ落ちた涙が手を濡らす、そんなことを武勇伝だと思い込んでいた時期が私にもありましたよ。
だがな、やっぱりそれは大きな間違い、ミステークなのだ。その考えにとらわれている限り「働かない働き方」はなかなか手に入らない。それはお前らが、嫌なことを引き受けて金をもらうのが仕事だという固定観念から逃げ切れていないってこと。働くというのは、何かを我慢することだと勘違いしているってこと。仕事なんてどうせつまらないのだという諦めにも似た気持ちに絡め取られているってことなのだ。仕事だから、好きなことや楽しいことをしてはいけないと思い込んでいるのだ。
チッチッチッ。違う違う、そうじゃ、そうじゃない。そうじゃないのだ。好きなことをやっていいのだ。楽しんでいいのだ。そもそも人間は働くことに向いていないと俺は思っているし、猫と同様に自分の好きなこと、やりたいことだけをやったほうがいいとも思っている。嫌なら逃げればいい。無理することはない。積極的に逃げればいいのだ。とはいっても、そこは俺たちも人間だ。残念ながら、生きていくためには全てから逃げ続けるわけにもいかないから、うまく折り合いをつけていくしかない。ただし、仕事とは我慢をすることだという間違った考え方だけは直しておいたほうがいい。
同僚からの評価に一喜一憂している場合じゃない。上司に褒められようとあれこれ悩んでいる場合じゃない。それはぜんぶお前ら自身の話じゃない
でもぜんぜん楽しくありません。好きなことなんてできません。そう言うお前らもいるだろう。あのな。いいか。自分のやりたいこと、楽しいと思えることは、道の向こうでぼんやりとお前らと出会うのを待っているわけじゃないんだぞ。待っていたってあちらからやってくることは、たぶんない。あるかも知れないが確率は低い。かなり低い。それはな、自分から見つけに行くものなのだよ。ものごとが楽しいか楽しくないか、好きか嫌いかは他人が決めることじゃない。それはお前らの胸の内にしか存在しない感情だ。お前ら自身が決めるものだ。
やりたいことをやる。好きなことだけをやる。その感覚は子どものころのごっこ遊びに近いんじゃないかと俺は思っている。自分が世界の中心になって泥団子や棒切れを何かに見立てたあの感覚だ。そこには他人の評価など存在しない。誰かに褒められたいという気持もない。ただ自分のやりたいこと、自分の好きなことだけをひたすら夢中で楽しんだ、あの感覚だ。あの感覚を今でも覚えているのなら、きっと仕事を楽しむことはできる。
そのためにまずお前らに必要なのは、自分の人生を自分でコントロールするという覚悟だ。前回、俺は競争を捨てろと言った。他人のために働くなと言った。他人の評価など気にするなとも言った。それはなぜか。それが自分の人生を切り売りする働き方だからだ。お前らの時間を相手にくれてやっているからだ。
お前らがどうやっても増やせないもの、それが時間だ。こればっかりはどれだけ金を積もうが、どれだけ技術が進歩しようが、どうにもならない。俺たちは産まれた瞬間から死に向かって歩き出しているのだ。その貴重な時間を切り売りしてどうするのだ。他人に渡してどうするのだ。同僚からの評価に一喜一憂している場合じゃない。上司に褒められようとあれこれ悩んでいる場合じゃない。それはぜんぶお前ら自身の話じゃない。他人が決めている話じゃないか。お前がどんな人生を歩もうとも、他人は責任を取ってはくれないんだぞ。だからこそ、自分が絶対にやりたくないことだけは何があってもやらずにおくべきなのだ。どっちにしても同じ時間を使うのだとしたら、その時間を楽しむのと楽しまないのとでは、お前らはどっちがいい。答えは簡単だ。
俺は働きたくない。とにかく働きたくない。うっかり受注すると自分では止められない性格だから、発注されないように携帯電話もだいたい切っているし、できるだけ連絡先を知られないように名刺も持っていない。だからといって、依頼される仕事が絶対にやりたくないのかというと、そういうわけでもない。やりたいかやりたくないかと問われたら、もちろんやりたくないわけだが、その仕事が絶対に嫌いとも言えないのだ。あ、これなら少しはやってもいいかな、ちょっと興味はあるな、なんて思う仕事も時々あるわけで、少なくとも何かを書くことに関しては絶対に嫌いというわけではなさそうだから、あれこれ引き受ける羽目になっているわけだ。まあ、そこが面倒くさいところなのだがな。
いいか。よくよく考えてみるとわかるのだが、絶対にやりたくないことというのは、それほど多くはない。もしも、お前らが今やっている仕事のことを嫌っているとしても、絶対にやりたくない仕事ってわけじゃないはずだ。心の底から本気でやりたくないと思っているのなら、やっていないはずだからな。そりゃそうだろ。あたり前だよな。
どうしてお前らはその仕事をしようと思ったのか。どうして他の仕事ではなくその仕事を選んだのか。もちろん俺のように騙されたり無理に誘われたりして、否応なしに働く羽目になったお前らだっているだろう。だが、転々と職を変えてきた俺にだって、やっぱりやりたくないことはあって、そういうものは、どれだけ強く誘われても断っているのだから、俺にもお前らにもその仕事を選んだ理由があるはずなのだ。
だが俺はあえて言う。誰かではなく自分の役に立て。他人ではなく自分をとことん楽しませろ
いやまあ、中には、これは嫌いじゃないし、それどころか、かなりおもしろそうだと思って引き受けたら、途中でどんどん発注内容が変わってきて、最後にはクライアントに言われるがままの、いやもうこれ俺は絶対にやりたくないことなんですけど、でも性格的には完成させたいからどうにも止められないという最悪な案件もあるから、いつも絶対やりたくないことは断れるとも言えないのだが、まあ、これは最近やった仕事への愚痴だから軽く聞き流しておけ。
ともかくだ。絶対にやりたくないことだけはやらないと決めておけば、たいていの仕事はきっとどこかに、気になったところ、興味のわいたところがあるものなのだ。だからそこを掘る。もしかすると、その仕事のほとんどは楽しくないことばかりかも知れないし、やりたくないことばかりかも知れない。でも、最初に惹かれたその僅かな興味や関心を深く掘っていけば、仕事が楽しくなるかも知れない。やりたくないことの中に、やりたいことを見つけられるかも知れない。
いや、何も俺は自分で自分を洗脳したあげく、嫌いな仕事を好きになってガンガン働けと言っているわけじゃないぞ。本当に嫌いなら辞めればいい。すぐに辞めればいい。ただ、お前らがその仕事を選んだときには理由があったはずだ。そして、その理由は他人が決めたことじゃなかったはずだ。あれこれ周りからも理由を押しつけられただろうが、最終的にはお前らが自分で決めたことだ。それが何なのかは知らない。
中には興味は金だというお前らだっているだろう。もちろんそれでも構わない。それだって好きなことの一つだ。俺だって、びっくりするくらい高額な原稿料を提示されたとしたら、原稿用紙に一枚書くたびに、よしこれでいくらになったぞと喜びを噛みしめニヤニヤしながらできるだけ枚数を増やそうと、わざと会話を増やしたり行替えを増やしたりするだろう。きっと俺はそこに楽しみや面白さを見つけるだろう。
人間は社会的な生き物だと言われている。誰かの役に立つことこそが喜びになるとも言われている。だが俺はあえて言う。誰かではなく自分の役に立て。他人ではなく自分をとことん楽しませろ。そうやって、今お前らの目の前にある仕事が少しでも好きだと思えたなら、今までより楽しめるようになったら、それでいいのだ。それだけでいいのだ。
文:浅生鴨
猫:銀ノ丞
次回:
★浅生鴨の「働かない働き方」vol.4ーその仕事が自分に向いているか向いていないかは、あまり自分では判断しない方がいいー
当連載のバックナンバーはコチラ
★浅生鴨の「働かない働き方」vol.1ー仕事とは逃げても逃げても先回りして俺を捕まえにくるモンスターのような存在なのだ
★浅生鴨の「働かない働き方」vol.2ーそれは、ひとことで言えば、他人のためではなく自分のために働く働き方ということに尽きる
執筆者プロフィール
浅生鴨(あそう・かも)
1971年神戸市生まれ。早稲田大学除籍。大学在学中より大手ゲーム会社、レコード会社などに勤務し、企画開発やディレクターなどを担当する。その後、IT、イベント、広告、デザイン、放送など様々な業種を経て、NHKで番組を制作。その傍ら広報ツイートを担当し、2012年に『中の人などいない @NHK広報のツイートはなぜユルい?』を刊行。現在はNHKを退職し、主に執筆活動に注力している。2016年長編小説『アグニオン』を上梓。
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