職人の審美眼に背中を押されて秩父へ
「みんなビックリします。地域おこし協力隊の募集を見つけてから秩父に引っ越すまで、3ヶ月ぐらいしかなかったので」
会社員としてIT系の仕事をする傍ら、アンティーク着物のお店でアルバイトをするほど着物が好きで、仕事の合間にネットで銘仙の柄を眺めて癒されていたという岩野さん。そこで偶然、秩父銘仙のPRに従事する地域おこし協力隊の募集を見つけたことが人生の転機となります。
「自分は歳を取ったと感じるかもしれないけれど、今からの10年は10年後の自分からのプレゼントだと思いなさい」
例えば今40歳だとしても50歳から見た40歳はまだ若いし、やれることはたくさんある。最初は迷いもありましたが、ふと手にした本で見つけたこの言葉に勇気をもらいます。
さらに秩父で出会った職人さんの審美眼にも背中を押されることになりました。自身が着ていた銘仙を指して「その着物は1メートルに3,000回撚(よ)りがかかっているから涼しいでしょう」と遠くから言われて。
好きが高じて伊勢崎や足柄など、主要な銘仙の産地を訪れましたが、技術が継承されていない現状を目の当たりにしていました。でも、ここにはまだ技術が残っていると確信したそうです。
「銘仙が大好きで。銘仙を作りたい」
この純粋な思いを胸に秩父への移住を決めた岩野さん。現在は、職人さんの元で研修中ですが、将来は秩父銘仙を手がける職人として起業すると心に決めています。
型にはまらず、自由な発想で「仕事」について考えよう
「銘仙の魅力は、気取らなさと自由さ」と語る岩野さん。そのコレクションは100着以上という銘仙マニアでもあります。
「銘仙かわいいんですよ。自分で制作するようになってもまだ買っちゃうんです。勉強のためという理由をつけて」
日本の伝統的な模様だけでなく、テニスラケットなどの外国のモチーフを気軽に取り入れた和洋折衷な柄も銘仙の得意とするところ。
当時の世相や流行を取り入れたものも多く、戦後、家電の三種の神器と言われた冷蔵庫、洗濯機、テレビをモチーフにしたものもあったのだとか。英国エリザベス女王の即位や上皇后美智子様のご成婚の時期には王冠や指輪のモチーフが多く流通していたそうです。
伝統を守るだけでなく、型に縛られない自由さがあったからこそ、銘仙は多くの女性を魅了することができたのでしょう。
「本来ならば職人として円熟期に入っている年齢なので私は良い職人にはなれないかもしれない。それでも秩父銘仙がこの世に残っていけるよう、何かしらのお手伝いができれば」と岩野さん。
現役の職人が減っている以上、何もしなければいつかは秩父銘仙の技術が失われてしまう。だからこそ岩野さんは、どんな形であれ秩父銘仙を残すことに力を注いでいます。
今回の旅で訪れる「レンタル銘仙イロハトリ」店主も元地域おこし協力隊員。彼女も銘仙を制作しながら、着物のレンタルを通じて銘仙の魅力を伝えています。
伝統工芸の世界は、熟練した技術を要する上、手作業が多く、生産に時間がかかります。効率性ばかりが重視される昨今、いくら「好き」でもそれを仕事とするには難しいと考えがちです。
しかし、伝統を大切にする秩父の街で、銘仙存続のために奮闘する女性たちと出会い、「好き」を仕事にするための方法は、一つではないことを教えられました。
年齢やキャリア、経済的な不安などは、言い訳にすぎない。「好き」のために、自分のできることから始めて努力を積み重ねる。その先に、豊かな人生が待っているのかもしれません。
日本の美しい伝統工芸やアンティークなものが好きな方にもオススメの今回の旅。秩父銘仙に魅了された女性たちと、自由な発想で「仕事」について考えてみませんか?