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2020年03月04日更新
焼き鳥屋「鳥清」の味は三代の店主とお客さんに受け継がれているー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.22
作家の森まゆみさんによる連載。『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に”ずーっとあるお店”にふらりと立ち寄っては店主にインタビュー。今回は鳥清へ。(編集部)
20代で跡を継ぎ、40歳から岩手の酒造に修業に行きました
鳥清さんは千駄木の動坂近く、不忍通りに面した焼き鳥屋さんである。ここの主人の保司さん、やっちゃんは、私と文京区立第一幼稚園と誠之小学校で同学年だった。同じクラスになったことはないが、家が近く、バスで一緒に通ったりしていた。
そのよしみで地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の第二号に広告を出していただいて以来、26年間、最後まで出してくれていた。ここでクラス会を開かせてもらったり、母と二人で焼き鳥を食べに行ったり、淡い付き合いが続いている。
――久しぶり。元気そうで何よりです。
「膝の骨を削ったんだよ。立ち仕事だからね。足が痛くて歩けなくなってた」
――じゃ、ゴルフもできないわね。
「とんでもないよ。今はサックスを吹くぐらいだ。まゆみちゃんのお父さんには随分、ゴルフに連れて行ってもらったよ。紳士のきれいなゴルフをなさったものね。しかもシングル」
――体育2の私と違ってね。駒込病院の野球部のピッチャーだった人だから。ところで、鳥清さんは昭和2年ごろの創業なんですってね。もう90年以上続いているのね。
「初代は僕のじいさんで、鳥居清仁(せいじ)というんです。名古屋の人でね。きょうだいが池之端黒門町のあたりで三岩(さいわ)という名前で食堂を始めて、あと大井のほうでもやっていたので、この動坂にも店を出したんだそうだ。ちょうど駒込病院が建て替えをしている頃で、大工さんたちがみんな食べに来てくれて、とっても繁盛したんだって」
――清仁さんがひとりでここを?
「いや、おばあちゃんと。清仁さんの奥さんで、きめさん。たぶん、名古屋から一緒に出てきたんじゃないかな。で、親父はここで生まれたの。昭和4年生まれ」
――お父さんも、やっちゃんに似て大柄な、二重まぶたのいい男だったわね。
「親父は鳥居秀雄。でも戦時中は商売なんてできなくてさ、愛知県のほうにいたみたいだな。愛知県の碧南に、特攻隊に行く前の飛行場があって、じいさんはそこの厨房をやっていたみたい。兵隊さんたちは、まだ小学生だった親父に『坊主、行ってくるぞ』と。出かけていく兵隊さんに、みんなで屋根の上から手を振っていた、と親父、言ってたもの。
ところが、借地だと空襲で焼けた時、そこにいないと土地の権利がなくなるというので、中学生になった親父がここに戻った。当時は、小岩とか、駒込神明町にも家作を持っていて、それを親父が見に行ったりしていたらしい。それで空襲になると、駒込病院に怪我した人とか担架で運んだ話なんか、よく聞かされたもんだよ。親父も昭和20年に入隊になるところだったけど、その前に終戦になって」
――そう、うちの父はふたつ上の昭和2年生まれで、危ないところだった。じゃあ、お父さんは千駄木小学校?
「そうそう。それで作曲家のいずみたくさんが同級生で、亡くなる前、よくうちにカレーライス食べに来てたよ」
――そうなの。でも、お宅も焼けたんじゃない? うちの母は昭和25年にここに来た時、前っ側はみんな焼けて、田端駅が見えたと言ってました。
「そう、うちも三軒長屋の一部が焼けたって。親父も東京大空襲のときは家にいて、焼夷弾を消したりしていたらしいよ。
戦後すぐ、親父は大塚のオーム針というレコードの針屋さんに勤めてたこともあるんだけど、じいさんがバラックの掘っ立て小屋で、割と早く営業を始めたんじゃないかな。それで、親父は俺がやらなきゃって、針屋の仕事をやめて、昭和24年から焼き鳥の商売に入ったらしいから」
――お母さんも優しそうな方だったわよね。
「母の清子は本郷の『かねこ』という料亭の娘でね。いまは、いとこがやっているんだけど、父はあそこで日本料理の修業をしてね。そこの次女と一緒になったってわけ。うちも一時は折詰弁当なんかもやっていて、上棟式のお祝い用に鯛を焼いて入れたり、そういうのもできないといけないからって、かねこで習ったみたいだよ」
――やっぱり、どこか他人の家の飯を食わないといけないんですね。やっちゃんはどこで?
「僕もかねこ」
――最初から、跡を継ごうと思っていたの?
「最初から、じゃないけどさ。しょうがないっていうか、やらざるを得ないっていうか。それで27くらいで跡を継いでから、この店を建て替えた。建て替えてそろそろ40年だもの。
建て替えで数千万の借金を背負ったけど、当時はお座敷も多かったし、いい時代だったんだねえ。毎月数十万ずつ返して、きれいに返し終わった。
必死になってがんばって、借金もだいぶ少なくなったから、そろそろいいかなと思って、40歳の時から4年半、岩手の世嬉の一酒造というところにお酒の修業に行ったの。まだ、親父が元気だったからね。俺、それまでお酒がまったく飲めなくてさ。お酒のことがわからないと、お客さんに聞かれても、説明できないじゃない」
――大きな蔵元よね。ここに行ったきっかけは何かあるんですか?
「きっかけは、ない。ハローワークで求人を見つけて、行ったの」
――そうなの? 奥さまも一緒に?
「うん、子供たちも一緒に行ったよ。造りとか教えてもらって、利き酒の資格も取らせてもらったし、イベントなんかをやる時には、中庭の屋台で俺が天ぷら揚げたりしてね。岩手の蔵元とは随分仲良くなったんで、店では今もお酒は岩手のを出しているよ」
うちは刺し置きはしないんです。注文聞いて焼くときに刺す。それは親父から言われているから
――じゃ、そろそろ1杯いただこうかな。
「竹筒に入った世嬉の一の冷酒、飲んでみなよ。おいしいよ。じゃ、とりわさとタレで3本ね」
とりわさは、旨みが詰まったささみにわさびの辛みがきいて、辛口の酒に合う。鶏肉、レバー、つくね。いつもは塩が好きなんだが、今日はタレがきた。これまたなんともたっぷりな大きさで、ふっくらしっとりしておいしい。
――鳥肉はどこから仕入れているの?
「それがうちなんて小さな店なのに、両国の鳥喜さんがいまだに配達してくれるんだよ。おばあちゃんのきめさんが懇意にしていたらしいの。ありがたいことだねえ」
まだ食べられそう。じゃ、塩で、砂肝とハツ。保司さんはカウンターの中に入って串を刺す。このハツがまた柔らかい。
「うちは、刺し置きはしないの。注文聞いて、焼くときに刺す。それは親父から言われているから。だから、どんなに忙しくても、なんにもしてないの。でも、お客さんはみんな出てくるまで待ってくれてる」
向こうの客は家族づれ。保司さんは「大きくなったね」「この前、運動会出たの」などと子供に話しかける。お父さんが「この子にどこ行く?と聞くと、鳥清っていうんですよ」という。
焼き鳥1本、あの大きさで200円。近所の人に愛されている店だ。また幼稚園、小学校時代の仲間も今も通ってきて、誰がどうしているか、わかる。
――最後に焼き飯、ください。
「あれはきめさん、おばあちゃんが作ってたもんで、母、ウチのかみさん、3代の女性が受け継いできた味なんだよ」
――保司さんの奥さんは?
「先輩が紹介してくれたの。久仁子といいます。向島からきたんだよ」
この焼き飯が、何気ないのだが、玉ねぎと醤油の味がこたえられない。
「やっぱりうちなんかさ、家族連れで来る方が多いのよ。だから、この前生まれたと思った赤ちゃんが、おっきくなって、小学校、中学校、そして大人になってお父さんと飲みに来てくれたりする。その姿をずっと追えるというのが楽しみだね。よその町に移っても、思い出してまた来てくれるのが一番うれしいね。みんな、姿かたちが変わって、小さい頃の面影なくてびっくりしたりするけど、それが僕らには一番のお土産っていうか、楽しいご褒美じゃないの」
子供は3人いるが、長男の大祐さんが後を継いだ。スペイン料理店とかねこで修業し、ふぐの免許も持ち、うなぎも焼く。
「こいつ、なんでもやりますよ。11月から2月までは、ふぐもやります」
母はふぐが好きだから、連れてきてあげたい。
保司さんはゴルフを諦めたが、サックスを吹き、この前は日野皓正との夢の競演をしたそうだ。
「もう、かっこよくてさ。本当、俺、夢見てるみたいだった」
――若大将も何かやるの?
「僕は根津の祭友会、太鼓叩くほうです」とのこと。また、その仲間がこの店を支えていくのだろう。
取材・文:森まゆみ
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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。
谷中・根津・千駄木に住みあうことの楽しさと責任をわけあい町の問題を考えていくサイト「谷根千ねっと」はコチラ→
http://www.yanesen.net/
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