2019年06月17日更新

谷中のちいさな宿「澤の屋」に年間5000人以上の外国人が泊まる理由ー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.11

作家の森まゆみさんによる連載。『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に"ずっとあるお店"にふらりと立ち寄っては店主にインタビュー。今回は外国人に人気の谷中の宿「澤の屋」へ。(編集部)

昭和の時代は商人宿。修学旅行の生徒たちも


根津の藍染大通りを入って、旧藍染川の流れていた通りを渡って右側に、澤の屋旅館はある。ご主人の澤功(さわ・いさお)さんと初めて会ったのは、雑誌「谷根千」を始めてすぐだった。最初から若い主婦の私たちを信用して、ずっと広告も出し、応援し続けてくれた方である。

「お互い若かったですよね。もう今年で82になりました」と、いつもにこやかな澤さん。髪の毛こそ白くなられたが、とてもそんなお年には見えない。

澤の屋は年間5000人以上の外国人が泊まる宿として、現在の日本政府の「観光立国」にとってもお手本のような宿であり、数々の賞や表彰を受け、澤さんが講演を頼まれることも多い。

「ここは妻の母親が始めた宿で、創業は昭和24(1949)年、令和元年で70年です。私が家内と結婚したのは昭和39(1964)年、オリンピックの年でした。婿養子に入ったわけですね」

その頃の澤の屋のお客といえば、地方からお米の値段の交渉や陳情に来る人々、柔道やバドミントンなどの全国大会に出場するスポーツ選手たち。

「製薬会社の方が毎月6、7名で使ってくださいました。今でいうビジネスユースでね。日中は営業に回って、夜は係長さん中心に宴会やって、お酒飲んで麻雀やったりね。『麻雀できます』なんて謄写版(ガリ版)で切ったチラシを撒いたりしましたよ。いわゆる商人宿というんですか。今思うと旅館の全盛期でしたね。

最初、和室8室で始めたのですが、16部屋にして70〜80人泊めて儲けようなんて時代でした。それから修学旅行もきましたね。上野駅まで迎えに行って、旗を立ててここまで歩いてきたものです。もちろん、朝、夜の食事を出して、一部屋にギチギチ10枚も布団を敷いて、枕合戦が楽しかったなんて言ってもらってね」



「ウィー・ハブ・ア・ルーム、それだけ言えればいい」と教わって


ところが、昭和47(1972)年に都電がなくなり、昭和57年、ついに3日続けて一人もお客が泊まらなかった。

「頭抱えちゃいました。上野公園山下から根津八重垣町までの都電がなくなり、足が切られて、駅から遠いと言われるしね。

商用がビジネスになり、ビジネスホテルというのができ始めていました。もう営業マンも、仕事が終わったら一人になりたい。上司とお酒や麻雀なんかやりたくない。新幹線ができると、出張も泊まりじゃなく、日帰りになった。修学旅行の生徒たちもホテルのほうがいいという。みんなでご飯食べたり、大きなお風呂に入ったりするのも嫌だと。旅のニーズが変わったんです」

同じ頃、本郷も旅館街であって、全国から来る中学生、高校生は東大を見学し、ここを目指せと言われたり、後楽園遊園地で遊んだりした。大通りにバスが停まっていたのを覚えている。本郷の宿も一つひとつ廃業していった。

「かといって、どうしたらいいのかわからない。そこに新宿百人町、今は韓国料理屋街になっている大久保の矢島旅館さんのご主人が、知恵を授けてくれたんです。外国人を泊めたらって」

その頃まだ、日本に来る外国人観光客は年間100万人くらいだった。でも英語は喋れないし、外国人を見たこともないし、第一うちは畳の部屋だ。そんなところにガイジンが泊まってくれるのだろうか。

「電話がくると怯えました。でも矢島さんが言うんです。ウィー・ハブ・ア・ルーム、それだけ言えばいいって。オーケーオーケー、それでどうにかなると」



澤の屋は戦略を変えた。せっかく建てた宿の半分はアパートに転換した。そして、ジャパニーズ・イン・グループという団体に登録して、小規模な旅館どうし連携しながら、お客の相互紹介や、ノウハウの共有に努めた。

「お風呂のない部屋が10室、お風呂トイレ付きが2室、今はそれだけです。それでもほぼ、92パーセントくらいの稼働率です」

――それはすごい。予約はどうやって受けるのですか。

「うちは一切、旅行者のサイトを使ってない。直接のメールとファックス、電話です。最初の頃、予約したのに泊まらないお客さんがいて困りました。これも矢島さんが教えてくれ、予約時にカードで決済することを覚えました」

ただ、今、カードへのサイバー攻撃が多いので、その保険に入ったりしている。

お客は最初の1秒で、歓迎されているかどうかわかる


私は谷根千を見学に来た国連職員のグループが、都心の超高級ホテルを断って、澤の屋に泊まったのを知っている。それと、北海道の義父が来た時には、家が狭すぎて泊められなかったので、澤の屋さんにお世話になった。義父は「一人で気楽でいい。お風呂が大きくて気持ちがいい」とお気に入りだった。その頃は一泊素泊まりで3000円台の安さだった。

「外国の方は見栄を張るより、町でお金を使いたい。日本人と逆で、日本に来たからには、日本式の畳と布団がいい。最初はなんとかおもてなししなけりゃ、サービスしなくちゃと力が入っていましたが、今は自然体でやっています。頼まれないことはしません。その代わり、お客さんから頼まれたら、親身に世話します。自分の家に帰って過ごしているみたいだと言って、1カ月泊まっていく方、何度も来てくださる方もいます」



ちょうど昼の12時を過ぎ、客達が到着し始めた。

「最初のひとことで、お客様は自分が歓迎されているかいないかわかります。差別されているかどうかもわかります。それは言葉ができるかどうかじゃない。目を見て話すことが大事です。うちは欧米豪のお客様が90パーセントですが、どこの国のお客様にもどんなお客様にも同じ対応です。その飛行機の時間を知っていますから、到着時間も読めます。彼らは朝~昼に来ると、荷物を預けて町に出て行きます」

うーん、わかるなあ。私も一人で世界中、泊まるが、最初の1秒で、歓迎されているかいないか、わかる。

澤の屋は、料理を必要とする朝食、夕食をやめ、朝は300円で卵料理とパン、コーヒも飲めるようになっている。客は自分でパンをトーストで焼き、コーヒーを入れる。夕食には、ご近所にあるオススメの飲食店をのせた地図を配っている。本当に町を使い倒していますね。

「町にはお世話になっています。近所のお店からは最初、外国人が来てもどうしていいかわかんねーよ、といった反応も多かった。それで英語のメニューを作っていただきました。お客が来るようになると、皆さん、外国の方との交流を楽しむようになります。お客さんも、澤の屋に泊まるというより、あの店にもう一度行きたいとか、居酒屋の親父の顔が見たい、ということになる。それでいいんです」

ということで、年間5000人が泊まる澤の屋と谷中、根津、千駄木の町は、共存共栄のいい環境が作られている。

イタリアの過疎地の山岳集落で、若い人が多く都会に出て行ってしまうなか、踏みとどまって、空き家を改造し、村ぐるみで宿を経営しようという試みが盛んだ。アルベルゴ・ディフーゾという。今、日本でも関心が高まっているが、澤の屋さんは同じことを30年以上前からやっていたと言える。

「旅館業はブラック企業。朝早くて、ご飯出して、お布団片付けて、掃除して、お風呂も洗って、お客さんを迎えて、夕食を作って出して、いろんなトラブルに対応する。もうそれじゃあ、誰もあとを継いでくれません。うちは飲食がなく、布団もあらかじめ敷いておきます。長いフライトで、疲れて到着する方もありますし、部屋はあくまでプライベートで寝るところ。万が一、怪我したり、体調を崩されても、この藍染大通りの中に、テート薬局さんもあるし、隣に谷根千クリニックもある。いろんな意味で助けていただいています」

現在、澤さん夫妻と、息子さん夫妻がおり、融通しあって世界のあちこちに出かけるのも楽しみだし、勉強になるという。息子さんは「谷根千」終刊イベントで獅子舞を舞ってくれた。その獅子が1階のリビングに飾ってあった。



「宿は情報蒐集の場でもあるんです。お客さん同士、ここでコーヒーやお茶を飲みながら、どこがよかった、あそこ行ってみればと花が咲く。また日本中の宿や名所のパンフレットも用意しています」

このスタイルに変えてから、18万9000人の外国人が澤の屋に泊まって日本の楽しい印象を刻んだと思う。小さな宿でも、長年のうちにこの数字になる。澤さん、世界平和のためにも大きな力を発揮しているといえる。

取材・文:森まゆみ

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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。

谷中・根津・千駄木に住みあうことの楽しさと責任をわけあい町の問題を考えていくサイト「谷根千ねっと」はコチラ→ http://www.yanesen.net/


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