2019年05月20日更新

創業元治元年。江戸千代紙の「いせ辰」を訪ねると暗い気分も明るくなるー森まゆみの「谷根千ずっとあるお店」vol.10

作家の森まゆみさんによる連載。『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』を1984年に創刊、「谷根千(やねせん)」という言葉を世に広めた人としても知られる森さんが、雑誌創刊以前からこの町に"ずっとあるお店"にふらりと立ち寄っては店主にインタビュー。作家の森まゆみさんによる好評連載。今回は創業元治元年(1864年)、千代紙の老舗版元「いせ辰」さんへ。(編集部)

「いせ辰」の千代紙は文明開化のスーベニア


三崎坂でひときわ華やかに目を引くのが、創業元治(げんじ)元年という歴史をもつ千代紙の「いせ辰」である。間口は2間ほど、奥行きもさしてないが、ガラスのウィンドーは季節を感じさせる千代紙の数々で溢れている。私は必ず足を止める。外国に行く時に、ここの姉さま人形や小ぶりの風呂敷、何より綺麗な千代紙をおみやげに買っていくと喜ばれる。

長らく、雑誌「谷根千」も置いてもらっており、毎号広告もいただいて、3カ月に一度は配達集金にも伺っていた。



——長年、お母様にはお世話になりました。

「毋がなくなってもう7年になります。森さんたちが『谷根千』をやめられた後ですね。69歳でした。いつも明るくて、楽しい母でした。とにかく店番でどこへも行けませんから、水曜、土曜に体操やプールに行くのが楽しみだったようです」
というのは長男の高橋元人さん。げんとと読む。

「うちは家内工業で、叔父が社長で、鈴木眞二と言います。その兄は犬張り子を息子たちと作っています。叔母が経理担当、母が長女で店舗担当でした。千代紙はこの裏のほうで職人さんに摺っていただいています」



いせ辰は幕末の元治元(1864)年に創業。この年は水戸の天狗党の挙兵があり、池田屋事件、禁門の変、四国連合艦隊が下関を砲撃するなどの激動期で、幕府の衰亡も極まった年だった。そんな時に、初代・広瀬辰五郎は、千代紙などという平和で文化的な美しい商品を町に広めたのであった。

初代は鷺沼村、今の千葉県習志野市の農家の出身で、日本橋の団扇問屋、伊勢屋惣右衛門に奉公し、同じく堀江町に錦絵と団扇の店を開く。明治3(1870)年には、神田弁慶橋の大通り沿いに進出。折しも文明開化の時代だったので、築地居留地や横浜の外国人に千代紙を売り込み、いわゆるスーベニア(日本土産)として発展した。

明治21年、初代の急逝により、長男の芳太郎が2代目を継ぐが34歳という若さでなくなり、辰五郎の三男・鐘三郎が20歳で後を継いだ。3代目は明治11(1878)年生まれの神田っ子で、石井研堂や淡島寒月などの趣味人、歌舞伎役者9代目団十郎や5代目菊五郎と付き合い、自らも江戸趣味の暮らしを貫いた。

しかしこの代で、関東大震災にあう。その時に版木もすべて焼けてしまったが、工場に残っていた千代紙や錦絵の版下から、4代目広瀬辰五郎(正雄、明治39年生まれ)さんが全部木型を作り直した。そして昭和17(1942)年、谷中に店を開く。私はその人を覚えている。着物を着こなして、洒脱なお姿で谷中の街を歩いていた。

「よくそう言われます。おしゃれな人だったと。祖父は私が中学の時になくなったので、会話などした覚えはそれほどないのですが。祖母は群馬から嫁いだ人で、もっぱら姉さま人形を作っていました。喘息持ちだったので、あまり外に出ませんでした」

日露戦争の翌年に生まれた4代目は、大正の震災の年に早稲田実業を中退後、家業を継いで、江戸千代紙やおもちゃ絵の保存、弟子の育成、古い千代紙の復元と普及に努めた。『江戸の千代紙 いせ辰三代』という箱入りの本には、昔の千代紙を多数、カラー印刷で口絵に入れている。

元人さんが10枚くらいの和紙を出してきて、見せてくれた。一色一色、色を重ねて完成するまでの過程がわかる。大変な工程だ。この手間の数によって、千代紙の値段は決まる。



古いものでは大名柄と言って、昔の武士の鎧甲冑の模様から起こしたもの、印伝などの模様となった単色摺りのものがある。単純だが色が渋く、力強い柄だ。他にも、白川楽翁(松平定信)公好みとか、渋いが凝ったものもある。また宮中には宮中で、料紙の文化が洗練され、定家好み、行成好みなど、有名な書家の好む紙にも美しいものができていった。

「このあたりは江戸ですね。こっちは明治です」。引き出して一つ一つ見ていくと、時間が経つのを忘れる。

いつの時代も愛される。季節と歴史を宿す千代紙の力


大名柄と並行して、庶民の千代紙も隆盛を極めた。これを「江戸千代紙」と総称する。酒井抱一の弟子、鈴木其一の署名が入っているものもある。また、今も店頭で売っている「桜つなぎ」「桜散らし」、団十郎好みの「吉原つなぎ」「麻の葉」、万古不易のなんというカッコいいデザイン力だろう。大きさは大錦判26センチ×39.5センチが決まりである。

一方、面白いのは「小道具鬢づくし」。これは歌舞伎の道具や役者の髪型を散らしてあるもの。こういう「尽くし」という発想はどうしてできたのだろう。


書籍『江戸の千代紙 いせ辰三代』(著・広瀬辰五郎)より

明治の河鍋暁斎のデザインは菖蒲、大菊など色艶やかなもの。河鍋暁斎は江戸末期から明治にかけて活躍、イギリス人建築家コンドルに絵を教え、近年、再評価が高まりつつある。墓は谷中の瑞輪寺。



かと思うと、自由恋愛に生きた大正時代の竹久夢二デザインのものもある。こちらはパラソルとか、マッチやツバメの柄など、モダンでパステルカラーだ。私たちは雑誌「谷根千」の表紙に、赤い地色に白いカブ、またこの竹久夢二のパラソルなどを使わせていただいた。いつか自分の本も、いせ辰のデザインの装丁にしたいと思いながら、まだ果たせないでいる。



「外国のお客様も増えていますが、みなさん、この鯉の模様が好きみたい。波間に魚が浮いているデザインはあちらにはないそうです。外国のお客様はよく調べて来られ、結構買ってくださいます。日本では、企業の引き出物に、企業名の入った風呂敷や手ぬぐいを大量に注文いただいたりして、助かります。これはうちのデザインを生かして他のジャンルに応用しようということでご提案いただいて以来、好評です」



――前は鎌倉とか横浜にもお店がありましたね。

「はい、一時手を広げたのですが、やっぱり、家族で目の届く範囲で仕事しようと。犬張り子も飯田昭三さんという方が作っていたのですが、この方がなくなられ、後を家のものが引き継ぎました。最近は、表情や形もバリエーションが出てきています。安産祈願、出産祝いなどに用いられる縁起物で、お産が軽いようにと、張り子で軽くなければいけないのですが、最近他所ではずっしりと重い犬張り子を見かけたりします」

――季節感も大事にしていますね。

「はい、二月の今頃でしたらお雛様、そのあとが五月の節句、それから夏に向けてうちわや扇子といった、夏らしい涼しい図案のもの、そして秋は菊や紅葉の柄、そうこうしているうちに、もうカレンダーが入ってきます」

鯉のモビールを売り出したところ、ネットで大評判になり、端から売れて、地方のお客への郵送に追われたという。

——150年以上も続くというのは、どんなご商売なんでしょう。

「やっぱり千代紙の力、これに尽きると思います」

若い元人さんは真摯に答えてくれた。私はここの赤い十字の包装紙が好きだ。暗い気分が明るくなるお店である。

4代目が縞の着物に黒いトンビを羽織って、三崎坂をゆっくりと歩む姿は絵になった。菊寿堂という紙細工の教室を開き、谷中の歴史と文化を継承するべく、「江戸のある町谷中の会」を立ち上げたのも、この4代目広瀬辰五郎さんの慧眼によるものである。



取材・文:森まゆみ

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Profile:もり・まゆみ 1954年、文京区動坂に生まれる。作家。早稲田大学政経学部卒業。1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人をつとめた。このエリアの頭文字をとった「谷根千」という呼び方は、この雑誌から広まったものである。雑誌『谷根千』を終えたあとは、街で若い人と遊んでいる。時々「さすらいのママ」として地域内でバーを開くことも。著書に『鷗外の坂』『子規の音』『お隣りのイスラーム』『「五足の靴」をゆく--明治の修学旅行』『東京老舗ごはん』ほか多数。

谷中・根津・千駄木に住みあうことの楽しさと責任をわけあい町の問題を考えていくサイト「谷根千ねっと」はコチラ→ http://www.yanesen.net/

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