2018年10月17日更新

徒歩 800 km! 社長秘書を辞めて、彼氏も置いて、ただただスペインを"歩く"

扉を開き続けても、「そこ」には答えがない



みなさんはどんな気持ちでこのページに辿り着きましたか?

私が自分の働き方、生き方に違和感を覚え 仕事旅行社の1日インターンへ参加したのは、去年の夏でした。

そのとき、私は国際物流に携わる企業の社長の秘書をしていました。

会社の方向性を一緒に考えることや海外出張も多い仕事で、刺激的な日々でした。

しかし、あくまでも社長の秘書でしたので、社内では自分の価値観に基づく言葉を使うことができず、苦しい環境でした。

「私には明確な夢もないし、フリーランスとしてやっていくスキルもないから、まだ会社を辞めることはできない」

そんな自分を抑える気持ちに負けないように、会社が終わると、毎日のように社外へ飛び出してはトークイベントに行ったり、ひとと会っていました。

まるで その場や彼らが、私が安心する「答え」を持っているかのように、たくさんの扉を開けに行きました。

ところが、扉を開け続けても、たしかに自分が好きな扉のカタチや模様はわかっても、扉の先にある居場所や答えは見つかりませんでした。

扉を「開けること」を辞めたときに、巡礼をする


「なぜ、スペインまで800km 歩きに巡礼にいくの」

会うひと会うひとにそう問われます。

自分の生き方に自信が持てず、未来を不安に思いがちだった時に、パウロ・コエーリョの『アルケミスト』、そして『星の巡礼』に出会いました。

そこには、自分が自分の人生につくりあげてしまった重荷や心配から、巡礼を通じて自分を解放していくことが物語られていました。

サンティアゴ・コンポステラへの巡礼はキリスト教の聖地のひとつですが、『星の巡礼』が世界中で読まれるようになってからは、その巡礼者は宗教、民族を越えた人生の転機に立つひとびとに歩かれるようになりました。

ひとびとはなぜ会社を辞めてまでひとりで巡礼に行ったのだろうと理由を知りたがります。

歩き始めたころは、「なんとなく」始めたことだったので、私のその問いへの解答はひとびとの満足するものではなかったと思います。

そう、私にはなんとなく、これまでは自ら扉を「開きにいっている」感覚だったのに対して、巡礼への道は自分に「開かれている」ように思えました。

今になってみると、私は歩くことを通じて頭を空っぽにしたかったのかもしれません。

言葉も文化も違うところで、社長秘書になってしまった私から距離を取りたかったのかもしれません。

「働くこと」「アウトプット先」そんな目的から全く解放されて、「しなければならないこと」に自動的に捉われてしまう自分自身を解放したかったのかもしれません。

「理由がなければやってはならない」

そんなことはありません。理由は後から付いてくることもあります。

もちろん やり始めたときは自信が持てないと思います。

しかし、外から動かされている感覚が癖になったときこそ、内なる動き方を取り戻すことも大切です。

日本にいたときは、どこか無理に頑張っていた自分でしたが、巡礼を通じその癖を辞めてみました。

歩く。自分の思考癖を知る。辞めてみる


巡礼の1ヶ月間は、ただただ 歩いて、食べて、話して、寝ます。

女性ひとりで、アジア系の巡礼者の少ない「北の道」を歩いているとき、多くの不安に取り憑かれました。

それは、私が会社で働いているときに持った不安と似ていました。

たとえば、「方向音痴」と自分で決めつけている私は、自分の視覚から前を歩く巡礼者がいなくなると、抑えがたい不安を覚えました。

「私は方向音痴だから、きっと道に迷ってしまい、今日の目的地に間に合わない!」

その度に自分の心地よいペースを崩し、走ったり急ぎ足になっては巡礼者を見つけると安心するという、「未来からの不安」でその場その場の行動を決定してしまう癖を繰り返しました。

それはまるで、自分に居場所をくれるひとがソッポを向いたり、ヴィジョンを示してくれなくなるときに感じる不安のようでした。

“スペインまで来て、制約のないなかにいるときでさえ、未来からの恐怖に支配され、現在を生きている心地を忘れて生きている。”

その気持ちを強く感じた日から、ひとを見つけたり追うこと、マニュアル化された1日の歩行距離から自らを解放することにしました。

目的地に早く、効率的に着くことばかりを考えることから、目の前にいるモグラや植物をじっくり観察してみたり、「しなければならないこと」で動くことを思い切って辞めてみました。

心地よさと好奇心に従ってみる


サンティアゴ巡礼には、多くのルートが存在します。

私は歴史やアートに興味があったので、途中でルートを変更しました。

サンティアゴ巡礼には幾つかのルールが存在していますが、そのほかを自分流にアレンジすることはできます。

ひとによって、サンティアゴ巡礼の道を歩く理由は違います。

歩きはじめたころには「出国前に計画してきたルート」に執着していましたが、歩いていくうちに「私は決められた枠に自分から入り込み、出ないことにこだわっている」と気づきました。

いつの間にか「世間一般的にスタンダードだとされているやり方」が「自分の判断基準」や「居心地のよさ」に繋がってしまい、その場その場で変化する気持ちを汲み取り調整することがよくないことだと決めつけて、かえって自分が動きにくくなっていることがわかりました。

ルートや移動方法を調整し続けることを通じ、自分のなかで抑制をかけ続けていた表現欲も次第に解放できるようになり、巡礼中は多くの絵を描きました。

働いていたときには、「意味のないこと」と割り切ってきたことこそが、私の気持ちをとても癒してくれることでした。


「今 この瞬間」、「ここ 私が立つ地点」に向かう道


サンティアゴ巡礼への道は、長いです。

自らをコントロールする癖の強い私、未来の不安ばかりに怯えて行動を決定していた私、割り切って意味のないことを楽しまなかった私、外に答えや安定性を求めて歩き回った私、

絵や歌、表現を通じてひとと交流をすることが好きな私、空間や建造物からひとびとの生活や歴史を感じたり、哲学を知ることが好きな私に出会いました。

就職活動を通じ、”私はなぜそれをするのか”という理由や意味ばかりを問われ、次第に何かを気軽にはじめることが難しくなっていました。

そしていつの間にか、目的を達成することばかりを望み、苦しく頑張ることが美徳だと思うようになってしまいました。

過去に囚われた”今”、未来への不安から発生する”今”、人生を複雑にし過ぎてしまった結果、”今”この瞬間を楽しむことを後回しにしていました。

「私にはできない」

そう思っているのは、案外 自分だけです。

私たちはいつからでもどう生きたいかを選びなおすことができます。

自信がなくても、動きはじめてみたら自然とまわりのひとが力になってくれます。

私にとって巡礼は、この瞬間を生きるよろこびを全身で感じる時間であり、怪我や天候といったどうにもならないことを受け入れ、自然の流れに心を澄ます尊さを教えてくれるものでした。

「新しい素敵な自分になること」「人生をリセットすること」。

そんな自分の信じている良し悪しの価値基準を解放し、過去を否定するでもなく、今の自分に開かれている扉を感じたのなら、理由のないその感覚を大切にしてみてください。

文・絵・写真:森 紗都子

プロフィール

1991年 鎌倉に生まれ自然のなかでのびのびと育つ。ファンタジー児童文学、ひとの想像が創りだす”ランプの精”や生き物が登場する 史実に着想を得た物語に熱中し、大学ではイスラームの貨幣思想史を学ぶ。時間(過去、現在、未来)と価値(金属の価値としての貨幣や宝飾品)、”時間”を価値に転換する”金利”や”投資”の宗教ごとの考え方の違いに関心を持ち続けている。

また社長秘書、大企業の御曹司との交際経験から、お金とその性格や権力・暴力性を実感し、将来的に絵本や何かしらのアプローチを通じて”ひととお金”の関係性を描きたい。

サンティアゴ巡礼の世界(instagram):https://www.instagram.com/memento_morisatoko/

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