世間では人生100年時代という言葉をよく見かけるようになりました。それと合わせるように「学び直し」がブームになっています。20年ほど前と比べると、一つの会社に人生を通して貢献していくんだ! と考えている人はとても少なくなったのではないでしょうか?
私も20代後半ですが、周りの人たちの中で「一生この会社で働くよ」と言っている人は一人もいません。
この時代のキーワードは「変化」です。
技術の発展や環境の変化など多くの変化が起こり、働き方、生き方は変化し続けます。変わり続けることの重要さを説いている識者も多いですね。
では、どのように変化していけばよいのでしょうか?
この連載は働き方のヒントを仏教の知恵に学ぼうというものですが、今回は「いかに学び方をアップデートするのか」という趣旨で、主に会社で働く方々に向けて書いてみたいと思います!
変化を続けるためにはラーン(Learn)だけではなくアンラーン(Unlearn)が重要!
さっそくですが、仏教はよりよい学びの参考になりそうな考え方の宝庫と言えます。
「アンラーン(un-learn)」という言葉を聞いたことはありますか? パッと見は「学ばない」という意味にも思えますが、そうではありません。
日本語では「学びほぐし」という言葉で紹介されることもあります。
自分が正しいと思っていることに固執せず、思考習慣・慣習等を手放していくことを指します。
前回の記事でご紹介した、仏教の「手放し」にも近い意味があると思いますが、近頃ではこの「アンラーン」という考え方が、社会人の学びにおいてフォーカスされるようになってきました。
環境の変化が不断に起こる中で生きていくためには、新しいことを学びつつ、一方でこれまで培ってきたものを手放していく必要があります。これまで成功してきた方法を使おうとしても適応できない。そんなケースも今後は頻繁に起こるようになっていくでしょう。
多くの識者の方々もアンラーンが重要だと言っていますが、そこからもう一段掘り下げ、アンラーンの方法について考えてみたいと思います。
アンラーンのヒントは仏教にあり
私は仏教の思想が、「アンラーン」を考えるのに役立つと思います。
私はお寺に生まれたご縁もあって、最近になって仏教について学び始めました。人生をよりよく生きる智慧を学ぼうと、瞑想会に参加する人たちが増えていたり、仏教の勉強をしている人たちが増えていく様子を目の当たりし、「今の時代に古臭い」と思っていた仏教的な考え方が役に立つのではないだろうかと考え始めました。
仏教は「私たちは本来いっときも止まらずに変化し続けている存在」であるという人間観を提示しています。それを「諸行無常」と表現します。
そうであるにもかかわらず、私たちは停滞していると感じることが多々ありますね。常に変化しているはずなのに。それを引き起こす要因の一つは、自分が持っている価値観を手放すことができないことにあるのです。
また、無意識に繰り返している慣習をついつい続けてしまうことも、新しい変化を阻害する大きな要因になります。特に一つの組織に所属し続けていたりすると、ついつい自分の考えがどういう特徴を持っているのかがわからなくなっていきます。環境の変化に弱いカチコチ人間の誕生です!
仏教の実践では物事に執着しないようなメンタルの状態を、修行を通して身につけようとします。たとえば瞑想です。瞑想の仕方はたくさんあるのですが、執着し続ける"自己を手放す"方法論として捉えると、意味を見出しやすいかもしれません。
人はさまざまな価値基準のものさしをもって生きています。それらのものさしがあるからこそ人間味のある選択ができたり、人それぞれの違いが出てくるのですが、仏教的な実践(例えば瞑想)を通して、自分自身の価値基準のものさしから降りるという状態を体感することができます。
変化するために価値基準のものさしを認識し、執着を手放す
変化をする時には、自分が持つ価値基準のものさしから降りてみる視点が重要です。
ものさしへの執着を離れることによって、環境の変化を受け入れ変化していきます。もちろんここに書いていることは簡単なことではありませんが、意識することができると価値観や慣習を変えていきやすくなるのです。
良質な問題解消・解決のためには、現状どのような価値基準を持っているのかを正確に掴むことが大事です。その価値基準のものさしは日常の中で観察することができます。より感情的になる機会があった時に、それに注目してみてください。
自分の持っている価値基準から逸脱した現実が起こると、多くの場合気分を害します。
たとえばイライラするという感情が出てくるとします。その時、ただイライラしたということを認識するだけではなく、「どういうことに自分は価値を置いているのだろうか?」と問うてみることで、自己理解を深めていくことができます。
たとえば、世の中で根深い価値基準のものさしになっているのはお金のものさしです。お金がない人は価値がないという感覚を持っている人は、お金が減っていくと猛烈に不安になるでしょう。
しかし、人生の転機でまとまったお金を投資することが、一時的に重要な場面もあります。その時に自分がどういうことに価値基準を置いているのかを理解していくと、自分の感情に引きずられずに意思決定することがしやすくなっていきます。それによって新しい行動パターンや思考パターンが形成されて、次のステージへと移行していけるかもしれません。
ここまではメンタル面で何を意識するのかについて書きましたが、次にどういう行動を取っていくのかについて書きます。キーワードは「越境」です。
越境学習によるアンラーン
自分が働いている組織と家の往復だけでは、どうしても自分の考え方は凝り固まっていきます。私は会社員として働いていた時、自分の会社の外の人とよく話すようにしていました。イベントに行ったり、ご飯に行ったりしていました。越境学習というのは、自分の組織だけではなく、その枠を超えて外の環境での学習機会を獲得することです。
イベントなど外の学びの場に行ってみるのもいいでしょう。違う組織で空いた時間に働いてみるのも一案です。ボランティアや社会貢献の事業をやっているところに飛び込んでみるのもいいですね。
外の環境では流れている知識や積むことができる経験は異なりますから、それに触れることで自分が組織の中で培ってきた当たり前の慣習を相対化することができます。
特に当たり前の文化が違うところに飛び込んでみると効果抜群です。
自分の考えの前提をゆさぶってくれるような機会を持つことができることは、人生を通して学び続ける上で重要ではないでしょうか?
違和感に着目する
越境する時に重要なのが「違和感」です。アンラーンのためには、この違和感をうまく扱うのがオススメです。
私は昨年度自分の仕事と並行しながらアートの活動に参画していました。その際、ついつい仕事で使っている言葉や言い回しを使ってアーティストの人たちに話を通そうとしたのですが、うまくいきません。言葉にできない違和感を抱くことも多々ありました。
しかし、それらの違和感は自分自身が持っている価値観を客観的に見てみるきっかけになりました。違和感が起こるたびに、自分がまだ言語化することができない価値基準のものさしを知ることができるので、それらは自己分析のための大切な源だったと気づいたのです。
ビジネスの現場においても思考だけではなく、感情や言葉になる以前の情動を大切にすることが大事だという考えも出てきていますので、違和感をポジティブに扱う能力も高めておいて損はないでしょう。
どういうものさしを持っているのかを把握すると、それを今後も大切にしていくのか、それとも別にこだわらなくても構わないのかを判断することができます。
意外と捨ててもいいのに執着してしまっている価値基準もあるものです。
たとえば私は「仏教は面白くない」と仏教にものさしをあてて低く評価していました。当たり前のようにそう思っていたのですが、別にそれに明確な理由もなかったのです。面白さを感じるようになってから、むしろ仏教に関連する仕事がやってくるようになったりしたので、振り返るともったいない思考の癖を持っていたものだなぁと思っています。
価値基準のものさしは、生きている中でいっときも固定化せずに変化し続けています。自分が大切にしたいことは大切にしつつも、なぜだか固定化してしまっているものさしは手放していく。変化し続けるための鉄則です。
ただし、全て自分の価値基準を捨てて行動していくというのは危険ですので注意してくださいね。たとえば新興宗教の集まりに参加することは越境学習に間違いありませんが、自分のものさしを完全に投げ出さないように気をつけてください。価値観の「手放し」をその人の成長ではなく、組織の成長に活用しようとする団体もあります。それは本末転倒というもの。
その意味では、手放しても手放しても最後に残る"自分の軸"のようなものが大切なのかもしれません。アンラーンを進めるためには価値基準の存在を認識し、それにとらわれなくなっていくことが重要ではありますが、ケースバイケースで自分が好ましいと感じる方へと舵を切っていってください。
固定観念を壊そうとするルーティンをつくる
私自身も上記のような学び(変化)のプロセスを体験してきました。最初はそれをなんとなくやっていましたが、次第にアンラーンを意図的に起こすことを習慣に組み込むようになってきました。
私がお勧めしたいのは、「自ら固定観念を壊すこと」を念頭に置きながら活動していくことです。新しい挑戦をしてみることも自分の固定観念を崩すのに役立ちますし、上記の越境学習もそれを行うのに有効です。
私は意識的に環境を変えていかないと、自分が硬直化していくイメージを持っています。アンラーニングを強く意識しながら活動することにより、学びを促進しています。
そのためにアンラーニングを起こすための「パターン化した型」を持つのはいかがでしょうか?
・自分が同じようなことばっかり言っていると気づいたら、違う発想の仕方を持っている人に連絡をとってランチしてみる
・普段から違和感をメモし、週に1度メモを見ながら価値観を問い直す時間を取る
・プロジェクトが一つ終わったら、振り返りの時間を取る(その時に学んだことだけではなく、何を手放したのかも考えてみてください!)
などなど。
自分独自のアンラーンのパターンをぜひ作ってみてください。
さいごに
「大人の学び」のプロセスで重視されるアンラーンを、仏教の視点から読み解いてきました。
「学びほぐし」はいまに始まったことではなく、昔から連綿と続いてきた学習法なのだということがわかります。変化の少ない時代にさえ必要なことだったわけですから、慌ただしい現代では、いっそう必要とされているのかもしれません。
まとめるとアンラーンを行う上で重要なのは、自分の価値基準のものさしを把握するために、意図的にそれを崩すような環境や人とのつながりに身を晒すことだと思います。最初はちょっとしたことでもいいのです。
自分が知らない何かに出会うことができるのは転職することや起業することだけではありません。会社に行く道を変えてみたり、最近話してなかった友達に連絡を取ってみることかもしれません。ささいなことが全て自分の価値基準のものさしを見つめてみるチャンスで、全てがアンラーンに活かすことができます。
アンラーンというのは本来学ぶこと一体となって起こっています。両者は表裏一体の関係です。何か新しいことを学んでいる時、同時に捨てる必要があるということなのです。ラーンがうまい人はアンラーンがうまい人でもあります。
まだまだ社会の中ではアンラーンの技術を言語化できる人は多くありませんので、アンラーニングの研究はこれから進んでいくのでしょう!
一方で研究者の方々の研究を待たずとも、私たちの身の回りにもアンラーニングに長けた人たちはたくさんいます。私たちそれぞれが人生を生きる学び手だからこそ「私のアンラーニング論」をつくっていくのもいいですね。
一生学び続ける時代を軽やかに楽しんでいきましょう!
Photo credit: wildrosetn39 on VisualHunt / CC BY
この連載のバックナンバー→
仏教の発想に学ぶ転機の生かし方ー本当の変化は"手放す"ことから生まれてくる
執筆者プロフィール
三浦祥敬 Yoshitaka Miura
フリーランス・ラーニング・プロデューサー。1991年佐賀の禅宗・曹洞宗のお寺生まれ。京都大学卒。仏教を参照した人生の転機を乗り越える思想・技術を「Transition」という言葉から探求している。TRANSITION PROJECT主宰。
https://note.mu/shokei612