2018年07月25日更新

リアルな直感と行動力で人生を切り開いてきた。セレクトショップ「B dash studio」・鈴木亜人夢さんの仕事哲学

和歌山県田辺市でセレクトショップ「B dash studio(ビーダッシュスタジオ)」を経営する鈴木亜人夢さんは、26歳の開業から、出会いと好奇心に導かれて行動力を発揮してきました。

「ピンときたら、すぐに行動しないと後で悔しい思いをする」。そう言って、インターネットの時代に自らの足で買い付けてお店を経営している鈴木さんから、61歳になった今も燃えたぎるファッションへの気持ちと仕事哲学を伺いました。



和歌山で道に迷って、建築現場で名刺交換


ーー鈴木さんが開業された35年前の1980年代前半は、いわゆるDCブランドブームの頃ですね。

鈴木亜人夢さん(以下、鈴木):僕もいつか自分のブランドを持ちたいと思っていたこともあったんだよ。僕が18歳まで育ったのは、和歌山県の南部にある印南町っていう半農半漁の小さい町。おじいちゃんもオヤジも漁師だった。目の前に広がる海を見ながら、都会や外の世界に憧れていたんだ。

18歳で上京したのは、専門学校で好きなファッションを学ぶため。僕が学生の頃は、ファッションはアイビールック一色だった。アイビーを牽引していた石津謙介さんのヴァンヂャケットって分かる? 卒業後には、ヴァン・ジャケットで働くのが夢だった。

でも、僕の在学中だった1978年にヴァン・ジャケットが潰れてしまった。卒業後は東京の千駄ヶ谷にあった小さなアパレルメーカーに入って、営業として全国を飛び回っていた。いずれ和歌山に帰ろうと思っていたけど、いつとは決めていなかったし、帰ってなにをするかも全く考えていなかった。

ーーそれがどうしてお店を持つことになったのですか?

鈴木:26歳だった1983年の1月末に、幼稚園から高校まで一緒だった幼なじみが亡くなった。それで休みをもらって郷里の町でお葬式に出席したんだ。次の日、帰り際に田辺市に立ち寄って営業活動しておこうと思って街を歩いていた。

そのとき、なぜか道を間違えて、たまたま目の前に建設中だったビルが気になったんだ。「何ができるんですか?」「美容院や洋服屋さんが入るみたいですよ!」と会話したのが、そのビルを請け負っている現場監督さんだった。仕事のことや世間話をして「僕もいずれは和歌山に」なんて軽い気持ちで名刺交換した。

その現場監督さんが2月の初めごろ電話をくれたんだ。その電話が「新しい建物に入る予定だったお店がひとつキャンセルになってオーナーさんが困っています。鈴木さん、お店やりませんか?」っていうものだったんだ。電話で話していたときは、「急すぎるよ」と思った。

ところが当時の彼女、つまり今のカミさんに話したら、「亡くなった幼なじみが呼んでくれているんじゃない?」と言うんだ。その言葉に、はっとしたよ。翌日には勤務先の上司に「和歌山に帰ってお店やります」と宣言した。

ーーなんの準備もなく1日で決めてしまったなんて……。周囲の反応はいかがでしたか?

鈴木:上司も最初は驚いていたけど、「がんばれ!」と言ってくれた。お金もなかったからね。地元の銀行に務めている同級生に「お金貸してくれないか」と相談したら、融資担当の上司を紹介してくれて、見よう見まねで作った事業計画書を提出した。なんとか融資は降りたけど、融資されたお金はお店を借りる資金や内装の費用でほとんどなくなった。残り12万円。これじゃあ、お店ができても洋服を仕入れるお金さえない。

ーー誰か他にお金を貸してくれる人がいたんですか?

鈴木:借りたのは、お金じゃなくて商品。営業先のお店で顔見知りになって仲良くしていた他社メーカーの営業仲間が「鈴木がお店をやるなら!」って特別に商品を貸してくれたんだ。おかげで無事に商品をお店に並べてオープンにこぎつけた。夢中で商品を売ったら、最初の1ヶ月で210万円売り上げることができて、開店後にすぐ倒産という事態は免れたんだ。そこから3年は無休で働いたよ。ファンになってくれたお客様の口コミもあって、30歳までに5店舗まで増やすことができた。ただ急ぎすぎたみたいで、そのあと2店舗は閉めることにはなったけど。


鈴木亜人夢さん

パリで道に迷って、あるスニーカーに一目惚れ


ーーお友達のお葬式のあと、道に迷ったことがお店の始まりなんて、運命を感じますね。

鈴木:実は、そのときだけじゃないんだよ。僕の人生は道に迷うと不思議な巡り合わせがあるらしいんだ。初めてパリに行った38歳のときのこと。迷い込んだ路地にあったお店で、スニーカーに一目惚れした。そうしたら、そのスニーカーを目の前で60足も買っていくアジア人がいた。あっと思って「エクスキューズ・ミー」と英語で話しかけたら、なんのことはない、彼は日本人の留学生だった。アルバイトとして商品を買い付けて日本に送っていたんだ。そのスニーカーが日本では4倍の値段で売れると教えてくれて、「本当に?」と僕が色めき立ったのにびっくりしたみたい。5足もスニーカーを譲ってくれたんだ。

ーーなんでそのスニーカーは、そんなに高く売れたんですか?

鈴木:当時ファッション誌でカリスマと呼ばれていた人が履いていたプレミアムスニーカーだったんだよ。まだ日本には輸入代理店もなかった。帰国後にスニーカーを履いて東京で展示会に行ったら「そのスニーカー、どこで買ったんですか?」と何人かに言われて、これはイケるとピンときた。すぐにパリ在住の知り合いに「買い付けのアルバイトをしてくれない?」と国際電話でお願いしたんだ。取り扱いが早い方だったから、おもしろいように売れたよ。口コミと雑誌広告だけで、たった半年で6000足も売れた。

届いてもすぐにお客様に発送するから店に配達してもらうのさえ煩わしくなって、宅配業者さんの倉庫にスタッフと一緒に行って、その場で伝票を書いて発送作業をさせてもらったよ。国際的なビジネス経験はほぼ初めてだったし、小さなお店にとっては大勝負だった。おまけに次の仕事にもつながった。流れがいいときというのは波が次々に来る。そう実感した出来事だったよ。

ーー鈴木さんのお話には、瞬間的かつ運命的な出会いが多く登場しますね。

鈴木:僕は人一倍好奇心が強い方だと思う。それから一人っ子だったせいかな。友達を作るのも、人に話しかけるのも子供のころから得意。新幹線で隣り合った人と友達になったりもしちゃう。今でもひと月に2度ぐらい買い付けやお店回りで東京に来るけれど、街で見かけた人がかっこいい服を着ていたら、追いかけていく。「素敵な洋服ですね。どこのお店で買ったんですか?」って話しかける。当然びっくりされるけど、結構教えてくれるものなんだよね。

すぐに教えてもらったお店に行って、洋服に付いているタグからメーカーを突き止める。そして、うちのお店で扱わせてくださいと電話する。とにかくこの業界はスピードが命だ。電話しても「ちょうど昨日、別の和歌山のお店とお取引きが決まりました!」と言われて、悔しい思いをしたことも何度もある。

もうひとつ、大事なのは自分の五感。雑誌の写真やネットの情報で、よさそうなお店だと思っても、行ってみたら品揃えや接客がいまいちだなと感じることはあるじゃない? やっぱり情報だけではなく、自分の足と目で確かめることも大事にしているよ。

ーーだから、今でも買い付けをご自分でやっているんですね。

鈴木:30代の後半に、スタッフに仕入れを任せた時期もあったんだよ。そうしたら、よくいえば無難な、悪くいうとつまらない商品ばかりになってしまった。経営者には経営者ならではの危機感があるから攻めた仕入れができるけれど、スタッフが同じ感覚を持つのは難しいのかもしれないと思ったよ。だから経営者である僕が、自分の目で見て、お店に置きたい、お客さんに紹介したいと思ったものを仕入れることにしているんだ。



口座残高2000円。大ピンチを救ってくれたのも出会い


ーー35年経営されてきて、いちばん大変だったのはどんなことですか?

鈴木:僕の人生の転機は、これまで3回あった。1番目は起業した26歳のとき。2度目は38歳でスニーカーが当たったとき。3度目は56歳のときで、たいへんだったのはこのとき。お客さんがインターネットショッピングに流れて行ったこともあって、資金繰りが苦しくなった。銀行口座に2000円しかなくなったんだよ。もう倒産するしかないというところまで追い込まれた。

ろくに眠れず、顔色が悪いまま早朝の新幹線に飛び乗った。「あの人なら」と何度か会っただけの岡山県で会社経営している方に融資をお願いしに行ったんだ。正直に店の窮状を話したら、ありがたいことに、すぐに当面の運転資金を借りることができた。おかげでいまもお店は続いている。

26歳からファッションが大好きな気持ちと、根拠のない自信で突っ走り続けてきたけど、僕の直感力と人や商品との向き合い方が、認めてもらえているという確信ができたのはこのときだ。いいことも悪いこともすべて自分の成長のためにあったことだと今は理解できる。全部意味があったんだね。それに僕はとってもいい運を持っていると自負しているよ。

ーーインターネットショップの評判は、とてもいいですね。

鈴木:はじめは、インターネット通販なんて機械的だと思って苦手だった。でもいまは口コミにすごくうれしいコメントを残してくれる常連のお客様もたくさんもいる。スタッフ全員で手分けして出荷作業をしているけど、丁寧な対応を評価してくれるお客様が多くて、通販サイトからも表彰された。たとえ顔の見えないインターネット通販でも、お客様とのたいせつな出会いには変わらないと思って接していると伝わるものなんだね。オリジナル商品も好評で、インターネット通販サイトでの売上は大きくなってきたよ。

ーーこれからの夢はありますか?

鈴木:これまでスタッフも含めていろんな人にお世話になったから、恩返ししたいよね。僕は今年61歳になったし、お店は創業35周年だ。現在は4つの実店舗とネットショップ、総勢10名のスタッフが働いている。今だって商売は油断できる状況じゃない。それでも、35年もお店を続けてこられたのは、いろんな人との出会いのおかげだと思っている。

特に今は、地元を盛り上げるのが僕の夢。田辺市の隣にある白浜町に住んでいるんだ。すごくいいところ。きれいなビーチがあって、パンダの赤ちゃんにも会える。少し行けば、世界遺産の熊野古道だってある。羽田から南紀白浜空港まではひとっ飛びだよ。もしこのインタビューを読んでくれた人の中で、南紀白浜のことが気になった人は、次の休みにでも遊びに来てもらいたい。新しい出会いがあるかもしれないよ?人生は直感に従って、即行動することで開けていくものだからね。

写真提供 ビーダッシュスタジオ http://b-dash-studio.jp
取材・文・ポートレイト撮影 野崎さおり
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