現在はバンコクに拠点をおいて活動する編集者・ライターのネルソン水嶋さんによる、これまでの仕事振り返りの完結編。充実した毎日だったが減り続ける貯金。転機はどこからやってきたのでしょう?(編集部)
前編はコチラ→
海外旅行でベトナム行ったらそのまま働くことになった
中編はコチラ→
僕は本気になるときに本気になれない人間だったのだ
減り続ける貯金。しかし、思いがけぬ転機が訪れ
サイトを通じて酸いも甘いも経験しながらも、相変わらず貯金は減る一方だったが、ここで転機が訪れた。
ライブドアブログ奨学金のコンテスト以来、自分の記事が連続してふたつの大賞を受賞したのだ。それは今でもライターとして参加している『デイリーポータルZ』の新人賞、もうひとつはYahoo!スマホガイドの『スマホの川流れ』というコーナーだった(後に『ネタりか』に統合)。
連続! 大賞! 血管がはちきれんばかりに興奮し、飛び上がるほど喜んだ!
前述の通り、時期が時期なだけにけっこう身銭を切ったが、DPZの授賞式に参加するべく一時帰国。ライブドアブログの賞ではウェブのみでの発表だったので実感はなかったが、目黒の高級式場を貸し切っての式で受ける祝福(DPZ的にも珍しい試みだったらしい)、あれは今でも「いま死んでもいい瞬間」ランキングの暫定一位だ。とか言って、3年半経って「今でも」ってのもどうかと思ったけど。ともかく、それからぽつりぽつりとライターの仕事をはじめることになった。
僕は前述のテキストサイト直撃世代でもあったので、そのレジェンドや系譜の人たちへの敬意の思いは強かった、それだけにそんな人たちに褒めてもらえたことはたちまち自信につながった。
でも、そこから先は同じ媒体でハッキリと数字が出る世界、海外(ベトナム)ということが強みになったり弱みになったり、いろいろと苦悩することにはなるのだが…。
いずれにせよ、こうして僕は、就職や転職や、社内事業などではない、いろんな人たちに支えられながらも、30歳になってようやく夢が叶った、クリエイターとして一歩目を踏んだと思った。
余談だが、このブログのトップ画像にも据えている『ドリアンマン』はそれから間もなくあとの話だ。
ドリアンを装備したら強そうに見えるかもと思ってやったら、地元の若者向けメディアで取り上げられ、それが日系メディアに取り上げられ、なぜかYahoo!トップまで行ってしまった。
まさにメディアのピタゴラスイッチ! この話題のお陰で、地元の大阪では有名なテレビ番組の、『となりの人間国宝さん』というコーナーでも取り上げられ、いい思い出になった(ただし親は複雑に思っていたらしい)。
しかし、ライターの仕事を得たとはいえ、そのふたつだけでは日本より物価の低いベトナムでも生活できない。移住当初は200万あった貯金額も、受賞から間もなくしていよいよ1万を切り、数千円(!)になっていた。
親の言いつけでバカ正直に年金は払っており、人生ではじめて友人から数万円ほど借金したりもして、ヤバイなヤバイな…と思っていたところ、ひょんなことから「就職」することになる。
その会社の社長とはもともと面識があったのだが、僕の状況を聞いたところ、ウェブや制作関連でポストがあったのでどうかと誘ってくれたのだ。
引っ越すたびに下がりつづけてきた家賃も移住後4年が経ってはじめて上がる。並行して続けていたライターも次第に案件が増え、またベトナムでひたすら取材を続けて蓄えてきた情報量もあって、テレビ番組向けのリサーチや市場調査、ツアーの企画などと幅が広がっていった。
このときから「ライターの本質は書くことよりも知識と洞察力だ」と思うようになり、それは今の動きにもつながっている。
DPZの授賞式
ベトナムといい関係でいたいから今は離れる
それからライターの仕事をメインに据えるようになり、ベトナムについて自分なりにたくさんの記事を書いてきた。つもりだ。
先日これまで寄稿した記事を数えるとちょうど200、べとまるで書いた記事も合わせると600くらいで、字数にすれば150万ほどになるだろう(ベトナムのことばかりじゃないが、だいたいそう)。きちんと原稿料をいただけるようになって、通訳をしてくれた友人たちに対価も払えるようになった。
べとまるをはじめたばかりの頃、楽しいからという理由でずいぶん無償で手伝ってもらってきただけに、こうして感謝の気持ちを形として渡せることは涙が出るほどうれしいことだ(僕の金でなく経費だけど)。
その調子の生活がさらに2年つづき、2018年1月末、僕はベトナムを離れることに決めた。
ここまで読んでくれた人なら分かってくれるだろう。僕はベトナムに救われて今ここに生きていられる。34年生きてきた中での6年余り、1/5にも満たないが、20年以上に渡って抱いてきた「クリエイターになりたい」という夢を形にしてくれた場所なのだ。
では、なぜ離れるのか? 「これからもベトナムといい関係をつづけるため」だ。このままいるだけなら、なんとか出来るんじゃないかという気もしていたが、それで外から見た魅力を伝えつづけることは簡単じゃない。どんな名画も5cmの距離で見れば何が何だか分からない。コンテンツをつくる人間には死活問題だ。だから、一度距離を置いて、この国を客観的に見ようと思った。
これは本当に狙い通りで、離れることを決めた途端に姿勢は変化し、新しいアイデアがポンポンと湧いた。今、それぞれベトナムにおける、「文化について」「生活について」「子どもについて」、3つのプロジェクトの構想がある。
3年後くらいまでにひと通りできるといいなと、今から楽しみに思っている。だから、僕は誰に呼ばれずとも再び戻る。できれば、一年半から二年後までの間にそうなりたい。
この6年3ヶ月間を振り返ってみると、僕は本当に運がいい人間だなぁと思う。楽しいことも悲しいこともあったけど、ベトナムに渡ったことも、べとまるをはじめたことも、賞を獲ったことも、ライターとして仕事をいただけるようになったことも、おおむね前向きに事は進んできた。でも、もちろん自分の力だけじゃない。ベトナムという国に暮らし、周りの恩人たちに恵まれてきたからにほかならない。
カルチャーショックが教えてくれること
冒頭で書いたように僕は6月からタイに来た。たぶん一年。
理由は仕事の変化で、海外で活躍するたくさんのクリエイターに会いたい、そのためにはアジアのハブでもあるバンコクに行く必要を感じたから。その背景の中心には、『海外ZINE』というウェブメディアの編集長をはじめたことがある。
このメディアは、今現在およそ10カ国の現地に住む(あるいは住んでいた)ライターさんに、その国の文化や伝統、暮らしぶりについての記事を寄稿してもらうもの。
本当は3年後くらいに世界を行脚してライター仲間を集めようと思っていたのだが、たまたま株式会社トラベロコさんから話をいただき、その運営のもとで予定より早く、行脚せずとも実現できることになった。僕の一方的な計画だけど、そうやってつながったライターさんを訪ねて世界各地を渡り歩くことが今はちょっとした夢だ。
なぜその仕事を受けたか?
それは「日本に向けてカルチャーショックを伝えたいから」という理由だ。日本で何十年どんな経験を重ねた大人でも、異国では子ども同然。
たとえばベトナムでは、会計でのお釣りとして飴玉が返ってきたり、夜間鉄道では通路で乗客が雑魚寝をしていたり、帰宅ラッシュの都市部はエンジン音が地鳴りのようだったり、日本人からするとめちゃくちゃな出来事で満ち溢れている。
そう言うと、「海外に出ない人間には関係ないよね」と言う人もいるかもしれない。
でも、程度の差が違うだけで、カルチャーショックは、ほとんど誰しもが経験してきている。進学、部活、バイト、入社…しかし、社会のシステムや風潮がエスコートしてくれるのは、だいたいここまで。結婚や育児などもふくめて、そこから先のカルチャーショックは自ら望んで行動を起こしていくしかない。
必要ない、と思うことはナンセンスだ。だって今挙げたものだって、すべてがすべて必要に迫られて取ってきた行動ではない。楽しいこともあれば、悲しいこともある。しかし、あれば人生が充実する、それがカルチャーショックだ。海外の文化はそこんとこお手軽に受けられますよ、というのが僕のスタンス。観光もいいけど、移住に勝るものはないだろう。
ホーチミンに移住したばかりの頃。シェアハウスにて友人たちと(右端が私)
いまの日本にベトナムに渡る前の自分の姿が重なる
ところで今、僕をはじめとして、海外在住者の中では日本の将来を心配する声が多いです。
この記事は日本に戻って書いていますが、国内のテレビを付ければ、出生率が低いだの若者のうんたら離れだの「将来不安論」、そもそも興味があって訪日している外国人観光客をつかまえての「日本すごい論」をのたまうばかり。
自信がないからこそ現実性の希薄な自己肯定に走る、その姿にベトナムに渡る前の僕、「やれるはずだ」と思いながら何にもやらず、自己愛と自己嫌悪を堂々巡りしていた自分の姿が重なる。そんな番組が視聴率を取れてしまうことは、多くの人がそう思うからと言えるかもしれませんが、テレビが来る日も来る日もそれを声高に言い続けるからでもあると思っています。
あくまで個人的な意見ですが、テレビは、国民を動かす力を持っているからこそ、日本人が上を向いて前進できるように善処することは極々自然なあり方じゃないでしょうか。
テレビが時代を先導してきた背景は、ウェブがあった・なかったという問題以前に、新しいコンテンツを常につくりつづけてきたからなんじゃないでしょうか。もちろん、いいなと思う番組もあるのだけれど、このまま業界全体が膠着するなら、ウェブを含むそれ以外のメディアも大河の一滴を落とし続けなければならないと思うのです。
『海外ZINE』の根底には、自らを褒めるばかりで外を見ない(と同時に視聴者へ働きかける)テレビへのアンチテーゼが秘められています。
いかがだっただろうか。自分の話をこれ見よがしに語っていると、日本人らしい謙遜心が書き手としての僕をからかってくるのだけど、きっと誰かの役に立つと思って誰にも頼まれずとも書いてみた。
冒頭(前編)の「仕事を楽しんでいる」「ヘンチクリンな背景」については十分伝わったのではないかと思う。
ここまで読んでくれたということは、あなたはもしかするとくすぶっている人ではないだろうか? そうでなくとも、そういうことにして、めちゃくちゃえらそうかもしれないが、僕の正直なアドバイスとエールを送りたい。必要ないという人は無視してください、きっとうざったいだろうから。
安易に聞こえるかもしれないが、作品や活動をインターネットにのせなさい。
あれはいい。人に見せるということは、批評を受けての研鑽にも、仲間の呼び水にもつながる。クオリティ、つながり、社会風潮、運、これらの要素が揃った日に夢は叶うはずだ。くれぐれも数字には振り回されるなよ、自分を大事にね、インターネットは手段であり目的ではない。
もし人に見せられるものがない(あるけど見せられない、なんて言ってる場合じゃない)という人は、ブログやSNSの専用アカウントだけでもつくってみるのもいい。
あと、周りに伝えて引っ込みがつかないようにする。ひとりでも信じて待ってくれる人がいれば力が漲ることもあるし、「そういう人だ」と扱ってくれるから、自己暗示が効く。夢に関わる人ならもっといい、厳しいことを言われても諦めるな。それはあなたが試されているだけか、素人時代を忘れてしまった人だ。自分のサクセスストーリーを自分で盛り上げるのだ。
と、こんなところだけど、それでも夢を追えないと思うなら、連絡ください。畑違いでも、感情を乗せてエールを送ることはできる。まぁ、なんていうか、先人がいるなら難しくても「無理」ではないと思うんだよ。格闘ゲームなら分かるけど、ドラクエとかで「魔王が倒せない」っていう人いる? 寿命っていうプレイ時間が足りるか足りないかだけだと思うよ。
言いたいことはこれでだいたいぜんぶ書きました。もしいつかこれが発破になったと思う日が来たら、教えてください。酒でもお茶でも飲み交わしましょう。
※この記事はネルソン水嶋.jp掲載の
「6年余りのベトナム生活であったことすべて書く」に加筆・修正したものです。
執筆者プロフィール
ネルソン水嶋という名前でライターをやっております、おもな媒体に『デイリーポータルZ』や『エキサイト』など。2017年11月から、世界各地のライターがカルチャーショックを紹介するサイト『海外ZINE』の編集長。ベトナムに6年3ヶ月住んでおりましたが、編集者としてたくさんの海外在住クリエイターと交わるために2018年6月末から拠点をバンコクに移動。関西人に会うと、探偵ナイトスクープに出演したことととなりの人間国宝さんに認定されたことを語りたがります。
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