2017年12月13日更新

漁師言葉はまるで外国語みたいだ!ーキャリア18年の編集者が房総のベテラン漁師に弟子入りすっぺ!【中編】ー

キャリア18年。あるアラフォー編集者が房総のベテラン漁師・中村享さん(キャリア40年)に弟子入り。「何でそうなった?」の"転職"ドキュメント。

★前編はコチラ→人間の"狩人"としてのDNAを呼び覚ます仕事

漁師は食べられるときに食べるもんなんだ


朝、起きたら台風22号はどこかに行ってた。昨日の大雨が嘘のような快晴だ。

だが、部屋から浜を見ると波は高い。少し時間があったので、ペンション・マリンテラスの裏にある大原の名所「八幡岬」に登ってみた。

すごい景色(上の写真)。この眺望は若山牧水や竹久夢二を始め、漫画家のつげ義春ら多くの作家・画家が絶賛したというが、確かに滅多に見られるもんじゃない。

午前7時。拓永丸・中村享さんが軽トラで迎えに来てくださったので大原漁港へ向かう。まずは漁港脇のコンテナ倉庫へ行き、竿の手入れをするとのこと。昨日も言ってた陸(おか)の仕事である。

竿と言ってもちょっと見たことないくらいの超ロングサイズ。FRP(繊維強化プラスチック)製の竿には、太陽の光などで痛まないようビニールテープが巻いてあるのだが、自然の力はすごい。塩ビさえボロボロになる。そこでいま巻かれているテープを外し、新しいのを巻きなおす作業だ。

「これ、朝ごはん」。作業に入る前、中村さんがおにぎりをくれた。いつ食べるのだろう? ちょっと躊躇していると、「漁師は食べられるときに食べるもんなんだ!」。つまり、いま食べろということである。軽トラを降りて立ったまま食べる。

中村さんは昨日とちょっとキャラが違う感じがするというか、完全に仕事モード入ってる。「竿こっち持ってきて」「あれクルマから降ろして」「倉庫から三脚持ってきて」など矢継ぎ早に指示が出て、ちょっとテンパる。

昨日はレクチャーだったが、今日からは仕事だ。「拓永丸の信条文」(前編)にもあったように、次の瞬間何が起こるかわからない"海という職場"で、スタッフや釣り客の命を預かる中村さんは"最高司令官"である。つまり、その指示は絶対。

よってここからは「中村さん」ではなく「船長」と呼びたい。



私が知る限り、どんな業種であってもベテランと呼ばれる人たちは皆そうなのだが、優しい人であっても仕事中には、独特の緊張感と厳しさを漂わせるものだ。船長にもその空気があった。経験上それがある人なら私は信頼することにしている。

写真からもわかるように船長は仕事中、頭に鉢巻をする。それが仕事モードの合図だ。

取り組んだのは「竿にテープを巻く」という簡単な作業のはずだが、やってみるとこれがなかなか一筋縄ではいかない。

まず竿にこびりついたテープを剥がすのにひと苦労。剥がせない部分はヘラでこそげ落とし、新しいのを巻くのにまたひと苦労。竿が長いので三脚で支え、私が手で竿を回転させるたびに船長が巻いていきーーという二人三脚の作業をひたすら行う。

少し休憩をとりつつ約2時間。ようやく赤と黒のテープを巻き終わる。生まれ変わったかのように竿がキレイでカッコよく、なんだかうれしくなった。「ビフォー・アフター撮っときなよ」と船長。アフターが以下だ。



「編集者」という仕事をしていても思うことだが、こういった地味に思える"下ごしらえ"の作業は、経験を積めば積むほど重要に思えてくる。

その後後片付けをしたり、運搬などの作業をした後、船長宅へ。庭では息子の拓人さんが網を繕っていた。昼ごはんをご馳走になる。お刺身や麻婆豆腐が美味しくて、初めてお邪魔した他人のお家で厚かましくもご飯おかわりである。

そのあいだも船長はタブレットで潮や波のデータを見ている。今日は漁に出られるのだろうか?

方言で聞いたほうが"仕事の実感"が伝わってくる


食事後、軽トラでまた港のほうへ出かける。船長はほかの漁船の様子を見たり、海や空がよく見える広い駐車場に軽トラを停めて何やら思案している。海に出られるなら、14時頃に出港となるそうだが果たして……。そう思っていると、こんな話をしてくれた。

「昔の人はさ、いまみたいに予報図もネットもないもんだからよお、やっぱり空を見ていたんだね。雲の流れなんかが大事でさ。『観天望気』って言うんだけど、沖に立ち雲が上がったら台風が来るとか、いろんな自然現象から天候を予測してたんですよ。気象は命に直結することだからね。

でも、それって本当に当たってんだよな。だからいくら漁船がハイテクになったからってプラスαも必要でね。経験を重ねて肌で感じることが大事なんだっぺ」


一緒に作業もして少し打ち解けくださったのか、船長の言葉もよりフランクに、そして房総の方言も混じるようになった。そして、方言で聞いたほうがなぜか"仕事の実感"のようなものが伝わってくるから不思議だ。

海をウオッチしていると別の軽トラが1台近づいてきた。船長の仲間であろう年配の方が運転している。運転席ごしに交わされる漁師同士の会話。「どうすっぺか? 今日」といった意見交換をしているのだろうと推察されたが、方言交じりの漁師言葉が早口で飛び交い、こうなってくると私には何が話されているのかさえ皆目わからない。ビギナーには外国語のように聞こえる。

そろそろ14時だ。わからないながら「やっぱり今日は漁はないのかな?」と私が思い始めた矢先、港から一隻の船が猛スピードで海に出て行くのが見えた。

「おー、行ったなあ」。船長と漁師仲間の人もちょっと感心したようにその姿を目で追っていた。するとその船を追うかのように続けて何隻かが出て行く。

いままで「漁に出る・出ない」といった発想で海を眺めたことがないため、普段ならたまたま港でそのような光景を目にしても特に何も思わなかっただろう。でも今日は違う。その光景を見て素直にこう思った。

カッコいい! なんて勇ましいんだ、漁に出て行くって。この海の荒れ方では、どの漁船も難しい判断を迫られたろう。波が高いぶんリスクも高く、不漁かもしれず、中村船長も気にかけていたようにイセエビや魚ではなく、海藻などのゴミが大量に網にかかってしまうかもしれない。ヘタすれば、骨折り損のくたびれ儲けともなりかねない状況だ。

でも行ってる。行ってる人がいますよ! そう思いつつ、私はそっと船長の顔色をうかがう。船長は無言であった。だが、その表情には闘志が燃え上がっている(ように見えた)。

行くぜ、器械根。イセエビの漁場へ


いきなり走り出す拓永丸の軽トラ。港に着くと船の前ではすでに拓人さんと奥様がスタンバッている。

「やっぱ行くんだな、これ。たぶん自分、船酔いするな」と予感しつつ、何が起こっているのかさえよくわからないまま、とりあえず海に落っこちないようにだけ気をつけながら、道具類の積み込みなどお手伝いする。出港の準備が整って船長が操縦室に乗り込むとエンジン音がし始める。

ボッボッ、ボボボボボーーーーー!

船が動き始めた。ぐんぐんスピードを上げながら港の外へ。思っていた以上に波が荒い。拓人さんと奥さんは作業しているが、自分は立つことさえできそうにない。

「カワジリさんは、ここに座っときな!」ということで、操縦室のドア前になんとか居場所を確保する。揺れはすごいが爽快・豪快な景色だ。陸はどんどん遠くなっていく。



大原の漁師たちが漁場としているのは、沿岸10数キロ沖に広がる「器械根」と呼ばれる水深約20m、広さ約120平方kmの岩礁群。この近辺で黒潮(暖流)と親潮(寒流)がぶつかるため、ここには豊かな漁場が形成され、イセエビ、アワビ、ヒラメ、タイ、タコなど多種多様な魚介類が生息している。

なかでも全国有数の漁獲量を誇るのがイセエビだ。大原の多くの漁船は夏場からこの時期まで、刺網(さしあみ)という漁法でイセエビを獲るーーというのはネットにも出てる解説だが、当然のことながら海の上に「ここから器械根」みたいな標識が立っているわけではない。

GPSや魚群探知機などのハイテクを駆使しつつ、船長の長年の経験と読みで「どこに網を入れるか?」を決めていく。もちろん「どこに仕掛けるか?」で獲れ高は変わってくる。

いつの間にか漁場に着いていたようだ。船長の「おーい」という掛け声を合図に、拓人さんと奥さんが左右に浮きのついた網を幾つも幾つも入れていく。

ドッパーン!

ときおり下から船が持ち上がるほど大きな揺れが来るが、二人はその瞬間を避けつつ手際よく網を入れていく。息の合った家族のコンビネーション。私は鉄柵につかまって、右へ左へユラユラしながらただ見ているのみ。やることがないので自撮りでも。いま見ると若干ビビってる表情だ。



このままだと日本に漁師さんいなくなっちゃうよ


港に戻りまた荷物運びなどお手伝いして、インターン2日目は終了した。

宿のマリンテラスに戻るとおおよそ16時。早い終業時間と思うことなかれ。次は網を上げる作業がある。暗い中での作業は危険で船酔いしやすいということもあって、船長から「明日は朝4時に港に来ればいい」と言われたが、一家は深夜2時頃から再び海に出るという。

つまり海のコンディションが良好でイセエビがよく獲れるシーズンであれば、13時に網入れ、深夜2時に網上げ、朝4時くらいに港へ戻って網の手入れや出荷、次の出港の準備など陸での作業、そしてまた13時に網入れ16時頃に戻って網上げの準備ーーという毎日が繰り返されることになる。

夏場は仕掛ける網の数も多いので、網にかかったゴミや雑魚を取り除く作業が終わるのは昼頃らしい。それでもまた14時に網を仕かけに海に出て、2時に網を上げに行くのだ。漁師の仕事時間は長い。

燃料費だってバカにならないだろう。「イセエビを獲っている」と言うとなんだか高級そうなイメージもあるが、必ずしも"わりに合う"仕事ではない。ここ大原漁港でも年々、漁師をやめる人が増えているのだという。

「大原にしたって10年前、20年前からみれば、2割3割減ってるわけだよね。日本全国だと、20万人いた漁師がこの10年で15万人になってるわけでしょ?

つまり漁業はいま日本全国うまく回ってないわけね。だって魚が安いでしょ? 我々から見ればだけど。生活がグロバールになっちゃっててさ、タコだってアフリカからも来ればいろんなところから来るわけだ。それで日本のタコが高いって言われても、労働力の安いところにかなうわけないよ。それで自分とこの船の修理費もままならないような状況で暮らしてる漁師だっているわけ。

このままだと日本に漁師さんいなくなっちゃうよ。でも、国や自治体に何かやってくれっていうのも他力本願すぎる気がして。私はできることは自分でやりたいんですよね」


船長の言う通り農林水産省の「漁業労働力に関する統計」によれば、2008年に22万2000人だった漁業就業者の数は、2016年には16万人に減少している。9年で約30パーセント減。

海外産の水産物と市場で競争するため、日本の水産物もどうしても価格を安くせざるをえない。だが、あまりに安くなってしまうと仕事を続けることさえ難しいのが我が国の漁業の現状だ。

こういったことも知識としては聞いたことがあったが、現場で話を聞くと重みが違う。

私は昔から食べるものは自炊派で、近所のスーパー3軒くらいの食材の値段を熟知している"主婦なおっさん"ではあるが、これからは少々高くとも美味しそう、新鮮そうであれば、日本産の魚介類を買いそうな気がする。

この日は出漁であまりにエキサイトしていたせいか? 不思議に船酔いしなかった。でも、この日のことを思い出しながら記事を書いていると、いまになってなぜか酔いが来た。

記事と写真:河尻亨一(シゴトゴト編集長/銀河ライター/東北芸工大客員教授)

(さらに続く)※12月15日(金)公開予定。
連載もの: 2017年12月13日更新

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