この連載も、もう4回目だ。いや5回目か? もうよくわからなくなっているが、とにかくなぜか続いているわけで、「俺は働くのが嫌のだ、働きたくないのだ」という連載をずっと続けているというのには、根本的というか初歩的な矛盾があるような気がしてならないのだが、何度も言うように本当に嫌なことなら断るはずだから、たぶん俺はこの連載をそれほど嫌だとは思っていないのだ。
それでも毎回のように締め切りを遥かに過ぎてしまうので、胸が痛い。あまりの胸の痛みに原稿がさっぱり書けないほどだ。あと、頭も痛いしお腹も痛い。そういえば先日、「どうも朝から頭が痛いんだよ」と言ったら「ああ、それはたぶん頭痛ですね」と教えてくれた若者がいたが、あまりにも頭痛がひどかったので、正しく突っ込むことができなかった。しかも「頭が痛いときって、だいたい頭痛なんですよ」とまで教えてくれたので、俺としてはもはや黙るしかなかったのだ。いま俺は、彼の将来が心配でならない。
もしも彼の身に何かあれば、それはあのとき正しく突っ込まなかった俺の責任だ。ああ、彼の将来が気になって原稿が進まない。
はいはい、わかったわかったわかりましたよ。ええ、貴兄の仰る通りです全部いいわけです。すみませんでした。書きますよ、書きますとも。
働かない働き方を目指すお前らは、スケジュール帳を埋めてはいけない
いいな、それじゃ始めるぞ。いきなりで申しわけないが、お前らのスケジュール帳をパラッと開いて欲しい。最近はスケジュール帳といっても紙の手帳じゃなくパソコンだのスマホだのの中に入っている電子的なものを使っているお前らも多いだろうから、パラッと開くという表現はちょっと違いますねとか、そういうことをガタガタ言うやつもいるだろうが、そんな細かいことはどうだっていいんだ。俺は紙の手帳を使ってるんだよ。俺がパラッとと言ったらパラッとでいいんだ。四の五の言わずにさっさと開きたまえ。
そうそう。「たまえ」といえば、その昔、のぞみ、かなえ、たまえ、というダジャレのような名前をつけた姉妹アイドルユニットがいたよな。そもそも名前をダジャレにしたアイドルってのは、と、ここまで書いたところで、俺の名前もダジャレじゃないかと、はたと気づいたのでこのことについては黙っておくことにする。まあ、俺はアイドルじゃないが。おお、気がついたらいつのまにかスケジュールとはまったく関係の無い話になってるじゃないか。始めるぞと言ったばかりなのにすぐにこれだから困るよなあ。わはははは。
さあ、そうこうしているうちに、お前らもスケジュール帳をパラッと開けたんじゃないか。開いたらよく見ろ。向こうが透けてしまいそうなほどじっくりと見ろ。どうだ、そこには何が書かれている? いやまあパソコンやらスマホやらの場合は書かれているじゃなくて、その、何と言えばいいんだ? 載っている? 載っているってのも何だか味気ないよな。記録されているとか登録されているって言えばいいのか? だああああ面倒くさい、面倒くさいわ。とにかくだな、そのスケジュール帳にあるものをお前らに見て欲しいわけだよ俺は。
そこにあるもの。それは何か。当然のことながらそれは、ほとんどの場合が何かの予定だ。スケジュール帳なんだから当たり前だよな。そこには予定が書かれているわけだ。そうだろう。わはははは。
で、だ。お前らのそのスケジュール帳には何かがびっしりと書き込まれているだろうか。それは乱雑に書きなぐられているのか、それともきっちりと整理されて書かれているのか。あるいは何も書かれず、ただ白いままだろうか。ふう。ようやく本題に入ってきたぞ。待たせたなベイビー。毎回毎回、本題に入るまでに時間がかかってしまうのは何故なんだ。ホントにすまんな、反省するよ。
働かない働き方を目指すお前らは、スケジュール帳を埋めてはいけない。これが今回の話だ。以上だ。これさえ言えば、もうここで今回の原稿は終わってもいいくらいなんだが、いちおう何か書いておく。
だいたいノートやら手帳ってのは最初の1ページ目だけはきれいに書くんだよな
お前らは初めてスケジュール帳を手にしたときのことを覚えているだろうか。俺は覚えているぞ。俺にとっての最初のスケジュール帳は中学生の時に配られた生徒手帳ってやつだったんだが、まだヤングでキュートだった俺はあれにいろいろと書き込んだわけだよ。
人間ってのは不思議なもので、目の前に書き込むためのスペースがあると、何かしら書き込みたくなってしまうんだよな。本棚に1冊分だけ隙間があると、そこに本を入れたくなるし、あと1つか2つでスタンプがいっぱいになりそうなショップカードがあれば、なんとかしてそこにスタンプを押してもらえないだろうかと考えてしまう。いや埋めたくならないというお前らもいるかも知れんが、そう言われると俺としては話を進めづらいので、いいから埋めろ。埋めたくなれ。なってくれ。どうだ、埋めたくなったか? なったな。よし。
とにかく人間は空きスペースがあると埋めたくなるわけで、初めてスケジュール帳を手にした俺はウキウキしながらいろんな色のペンであれこれ文字を書き込んだわけだ。俺のヤング時代はファッション文具の全盛期で、匂い付きのペンだとか、盛り上がるインクだとか、そういう目新しい筆記用具がどんどん登場していてだな、みんなでかいペンケースにそういう最新の文房具をジャラジャラ入れていたんだよなあ。ああノスタルジー。
しかも最初はプライベートは青、部活は緑、なんていう妙な自分ルールを決めて、きれいな字できっちり書き込むんだよ。バカだな俺。だいたいノートやら手帳ってのは最初の1ページ目だけはきれいに書くんだよな。どうせすぐに崩壊してグチャグチャになるんだから、最初から適当に書いてもいいのに、なんで最初だけはきれいに書こうとするんだろうな。あれは本当に謎だ。いつか誰かに解明してもらいたいくらいだ。
お前らも、きっと書き込んだだろう。いったい何を書き込んだか。もちろん予定だよな。だははははは。そりゃそうだよな。あたり前だよな。そのためにお前らはスケジュール帳を手に入れたわけだからな。まあ、わざわざ手に入れたわけじゃなくて最初からパソコンに入っていたとかスマホの機能だとか、最初に書き込んだのは名前だとか、あれこれ異議申し立てはあるだろうが、俺は受けつけない。そういうのをいちいち受けつけていたら、キリが無いんだよ。俺はそういう細かい突っ込みが嫌いなのだ。自分が他人に突っ込むのは好きだが、他人に突っ込まれるのは嫌なのだ。どうだこのスタンスが大人ってやつだ。棚上げってやつだな。自分のことはさておく能力。いろんなところにいるだろう、棚上げ力を発揮する大人たちが。いいか、お前らはあんな風にはなるなよ。お前が言うなって話だがな。わははは。
スケジュール帳に書かれているものは予定である。それはわかったな。
他人の都合で未来を埋めるな。スケジュールの空白を守り抜け。空白こそが人間を自由にする
さあ、ここで大事なことを言うぞ。スケジュール帳ってのはな、予定が何も書かれていなければいない方がいいのだよ。それはいったいなぜなのか。いいか、よく聞けよ。スケジュール用に書かれた予定とは、そのほとんどが他人の都合だからだ。
だいたいスケジュール帳に書かれていることの多くは他人との関係だ。他人とお前らとが時間をすり合わせた結果がスケジュール帳に書き込まれるわけで、結局それは他人の都合なのだ。だから、もしもお前らのスケジュール帳が、この先のスケジュールで細かく埋まっているとしたら、それはかなり残念なことだと俺は思うのだよ。
いやそんなことはない自分は自分だけの予定を書いているというお前らがいることは知っている。そんな反論をしたがるお前らがいることはわかっているが、はたしてそうか。本当にそうなのか。その予定は自分だけで完結することなのか。ほとんどの予定はそうじゃないだろう。学校で学ぶ。ジムに行く。それだって、相手のあることだ。言い出したらきりが無い。
本当に自分だけで完結すること。それは夢というものだ。何月何日の何時、きっと私はこうなっている。何月何日の何時に俺はこうありたい、なんていう夢や希望をスケジュール帳に書き込んでいるお前らは、あまりいないだろう。だいたいそういうことは日記だの何だのに書くわけで、スケジュール帳に書かれているのは、確定された未来なのだ。真っ白だった時には無限の広がりを持っていたスケジュール帳なのに、何かが書き込まれるたびに未来は限定され、可能性は削られていく。だからスケジュール帳なんてものは空白であればあるほどいいのだよ。
実は俺もなかなかそのことに気づかなくてな。若いころにはビッシリと埋まった予定を喜んでいたし、色わけしたりシールを貼ったりして、うっとり眺めていたこともある。スケジュール帳が空白なのは、何かいけないことのような気がして、わざわざ書くほどでもないような予定でさえ、いちいち細かく書き込んでいた時期もあるし、むしろそれがいいと思い込んでいたのだ。
だが今の俺は違う。俺は働きたくないのだ。何もしたくないのだ。真っ白なスケジュール帳こそが俺の未来だ。俺の自由だ。やりたいときにやりたいことをやるためには、その空白がなによりも大切なのだ。
もちろん俺の言っていることは極論だ。ここではわざわざ極論を言っているわけだし、俺だって真っ白なスケジュール帳を手に生きているわけじゃない。いや下手をすれば、どんどん埋まっていくスケジュール帳に頭を抱えているくらいだ。なにせ断るのが苦手だからな。わはははは。これも棚上げ力ってやつだな。
でも、だからこそそういう考え方をしたっていいだろう。いや、そう考えたほうがいいと俺は思うのだよ。予定は未来を制限する。他人の都合で自分の未来が制限される。それでいいのかと。
人間は空きスペースがあると埋めたくなる。その呪縛から逃れるのはなかなか大変なのだ。だがな、空白こそが人間を自由にするのだ。何もない時間こそが本当のお前らの時間なのだ。だから、働かない働き方をしたいのなら何も書くな。未来を埋めるな。スケジュールの空白を守り抜け。気を抜けばすぐにスケジュールは埋まる。埋めたくなる。他人の都合で自分の人生を埋めてしまう。そうやって俺たちは知らず知らずのうちに他人に絡め取られていく。だが、お前らの人生はお前らのものだ。その誘惑と戦うのだ。それは熾烈な戦いだ。俺も毎日のように戦っている。未来に書き込むべきは予定ではない。お前ら自身の夢だ。お前らの健闘を祈る。
文:浅生鴨
猫:銀ノ丞
(当連載のバックナンバー)
★浅生鴨の「働かない働き方」vol.1ー仕事とは逃げても逃げても先回りして俺を捕まえにくるモンスターのような存在なのだ
★浅生鴨の「働かない働き方」vol.2ーそれは、ひとことで言えば、他人のためではなく自分のために働く働き方ということに尽きる
★浅生鴨の「働かない働き方」vol.3ー子どものころの"ごっこ遊び"の感覚を覚えているのなら、きっと仕事を楽しむことはできるー
★浅生鴨の「働かない働き方」vol.4ーその仕事が自分に向いているか向いていないかは、あまり自分では判断しない方がいいー
執筆者プロフィール
浅生鴨(あそう・かも)
1971年神戸市生まれ。早稲田大学除籍。大学在学中より大手ゲーム会社、レコード会社などに勤務し、企画開発やディレクターなどを担当する。その後、IT、イベント、広告、デザイン、放送など様々な業種を経て、NHKで番組を制作。その傍ら広報ツイートを担当し、2012年に『中の人などいない @NHK広報のツイートはなぜユルい?』を刊行。現在はNHKを退職し、主に執筆活動に注力している。2016年長編小説『アグニオン』を上梓。
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