楽しいと思うことを仕事にするか、今やっている仕事を楽しむか。そのどちらかができれば、それが働かない働き方なのだと俺は言ってきた。公私混同。仕事の私物化。お前らが目指すべきものはそういう働き方だ。
どうだ。第4回ともなれば、冒頭からいきなり本題だぞ。前置き無しの振りかぶり。投球練習なしのピッチングだ。本当のことを言うと、いちおう本題に入る前に、何かマクラっぽいものを書いたほうがいいだろうかと悩んだのだが、さっぱり思いつかなかっただけだ。わはははは。まあ、生きていりゃ、そういう日もあるんだから、そこはそれ、お互い様の精神でやっていきたいところだよ、貴兄。
どっちにしてもこの原稿はあまり深く考えずに勢いだけで書いているから、マクラがあろうとなかろうと、実はあまり関係ないんだが、あったほうが格好がつくような気がするんだよな。お前らだってそう思うだろ。だから、もしも書いている途中で何かマクラっぽいことを思いついたら、前後の文脈に関係なく遠慮なく混ぜることにするので、お前らも心しておくように。だからと言って、混ぜなくても怒るなよ。混ぜるかどうかは俺にもわからんのだからな。
ええっと、何の話だっけ。ああ、そうだ。とにかくだ。絶対にやりたくないことだけを避けていれば、きっと仕事を楽しむ方法は見つけられるはずなのだ。あちらこちらでさんざん働きたくないと言っている俺でさえ、とりあえず目の前にぶら下げられた人参はそれなりに楽しんで追いかけているわけだから、お前らだってきっと大丈夫だ。まちがいなく楽しめる。
もちろん追いかけずに、ただ人参がもらえるほうが俺は好きだ。もう一度言っておく。俺は、ただ人参がもらえるってほうが好きだ。棚から牡丹餅。漁夫の利。一石二鳥。果報は寝て待て。濡れ手で粟。いやあ、どれもうっとりする言葉だよな。そういうのが俺は大好きなのだ。わははははは。お前らだって好きだろう。仲間だな。
だがしかし、お前らはわらしべ長者じゃない。残念ながら俺だって違う。俺もお前らも目の前の人参を追いかけるしかないのだ。だとすれば、やっぱり楽しむしかないじゃないか。ということで楽しめよ。
俺は、どんな内容であれ発注されたら、きっとそれは俺にできるのだろうと思うようにしている
さて、仕事の話をする上で、ここでもう一つちょいと考えておかなきゃならないことがあるんだが、お前らにわかるだろうか。実はな、ここだけの話だが、仕事には好き嫌いのほかに、向き不向きってやつがあるんだよな。人間に得意不得意があるってのは、これはもう仕方のないことだが、この要素が絡んでくると話が少々ややこしくなってくる。嫌いな上に苦手だってことなら、さっさと逃げ出せばいいし、騙されたり、むりやり押しつけられたりしない限り、たぶん最初からそういうものに近づくお前らはいないと思うが、好きだけど苦手、嫌いだけど得意ってことになると、いきなり面倒くさい事態になってしまうわけだ。
ああ、ややこしい。あともう一つ、好きで得意ってのもあるわけだが、ええ、ええ、それはたいへん素敵なことですね。よかったですね。お前の話など聞きたくもないわ。知るか。向こうで勝手に自慢してろ。得意か。
で、こういう向き不向きの話をすると、ああ、これは自分には向いていないとすぐに自分で判断して仕事を辞めてしまうお前らがいるわけだが、いいか、お前らがその仕事に向いているかどうかは、ある程度の時間をかけてみないとわからないのだ。好き嫌いはすぐにわかる。だが、向き不向きはすぐにはわからんのだよ。
だから、その仕事が自分に向いているか向いていないか、できるかできないかは、あまり自分では判断しない方がいい。お前らが考えるのは好きか嫌いかだけでいい。
ここでいきなり俺の話になるが、そもそも俺に仕事を発注するやつは、あ、いや、ご発注くださるクライアントの皆様はですね、俺にそれができると思って発注してきやが、いや、ご発注くださるわけでございますよね。たとえ俺自身がさすがにこれは向いていないぞ、俺にはできそうもないぞと思っていても、相手は俺を見て、俺の何かを見て、こいつならできるだろうと思って発注、ええと、ご発注してくださっているのでございますですね。だから俺は、どんな内容であれ発注されたら、きっとそれは俺にできるのだろうと思うようにしている。そして、たいていの場合、俺の判断よりクライアントの判断の方が正しいし、だから俺は困るのだ。
俺のルール、つまりマイルールでは、嫌いなら断れるが、それ俺には向いてませんからという理由では断れないのだぞ。これって俺には向いていないよなあ、なんてことを考えながら、苦手なことをヒイヒイ言いながらやる羽目になるのだぞ。どうしてくれるんだ。助けておくれよルーシー。そう言いながらも、俺はヒイヒイ言うことを楽しんでいるからいいのだが、そんなことより誰だよルーシー。
少しは粘れ。同じことを何度か繰り返すまでは粘れ。ある程度わかるまでは粘れ
人間ってのはよくできたもので、ある程度までは不得意なことも慣れでカバーができるのだ。楽器を弾いたことのない人間は、楽器の演奏が得意とは言えないだろう。むしろ不得意だと言える。それでも毎日練習していると、だんだんきれいな音が出せるようになり、指が動くようになり、フレーズが弾けるようになり、より早く弾けるようになり、やがてその場で思った通りの音が出せるようになっていく。そうなればもう楽器の演奏が得意だと言ってもいいだろう。スポーツもそうだ。最初は一キロも走れば息が上がっていたのに、練習を重ねればフルマラソンを走ることだってできるようになる。
どうだ。不得意は慣れで得意に変えられるのだ。もっともそれには、楽器を触るのが好きってことが重要だ。体を動かすのが好きってことが必要だ。好きとまではいかなくとも、少なくとも嫌いでは続かない。仕事だって同じことだ。最初は上手くできなくても、何度も同じことを繰り返しているうちに、慣れてくる。慣れると上手くなる。余裕が出てくる。余裕は気持ちを楽にしてくれるし、その仕事の楽しみ方もわかってくる。だから早まるな。たとえ自分に向いていないと思っても、それが絶対に嫌いなことじゃないのなら、少しは粘れ。同じことを何度か繰り返すまでは粘れ。ある程度わかるまでは粘れ。まあ、人に言われるがまま何も考えずに次々と職を変えてきた俺が言うのも何だがな。まったく俺も適当なことをよく言うよな。わははははは。
発注されるってことは必要だってことだ。お前らが何らかの仕事をするってのは、そういうことだ。この世に必要のない仕事はない。どれだけ必要じゃなさそうに見える仕事でも、それは必要だから存在しているのだ。どれだけ無駄な作業に見えても、それが誰かの、何かの役に立っていることだけはまちがいない。もしも必要なければ、そもそも仕事として成立しないんだから当たり前なんだが、どうもお前らはそれを忘れがちだ。もちろん、中には仕事をつくること自体が目的になっているような、無理やり感たっぷりの仕事もあるだろうが、それだって、仕事をつくることには役立っている。
俺は他人のために働くなと言っている。他人の評価など関係ない。自分のために、自分に評価されるために働けと言っている。それでも、それが仕事である限り、結果的には誰かの、何かの役に立つのだから、それはそれでいいじゃないかとも思うわけだ。
えーっと、何だか締めっぽい雰囲気になっちゃったので今回はここで終わり。はい、終わりだよ。どうやらマクラっぽいものは混ざらなかったな。わはははは。いやあ、すまんすまん。しかも、実は今回、俺は「働かない働き方」を目指したらスケジュール帳ってどうなるだとか、そういった具体的な話をしようと思っていたのに、なぜかそこまで到達しなかったので、はい、次回がんばります。あまり間を空けないようにがんばるよ。本当はがんばらないんだけどさ。だって俺だぞ。がんばるわけがないだろ。わはははははは。
文:浅生鴨
次回:
★浅生鴨の「働かない働き方」vol.5ースケジュール帳ってのはな、予定が何も書かれていなければいない方がいいのだよー
(当連載のバックナンバー)
★浅生鴨の「働かない働き方」vol.1ー仕事とは逃げても逃げても先回りして俺を捕まえにくるモンスターのような存在なのだ
★浅生鴨の「働かない働き方」vol.2ーそれは、ひとことで言えば、他人のためではなく自分のために働く働き方ということに尽きる
★浅生鴨の「働かない働き方」vol.3ー子どものころの"ごっこ遊び"の感覚を覚えているのなら、きっと仕事を楽しむことはできるー
執筆者プロフィール
浅生鴨(あそう・かも)
1971年神戸市生まれ。早稲田大学除籍。大学在学中より大手ゲーム会社、レコード会社などに勤務し、企画開発やディレクターなどを担当する。その後、IT、イベント、広告、デザイン、放送など様々な業種を経て、NHKで番組を制作。その傍ら広報ツイートを担当し、2012年に『中の人などいない @NHK広報のツイートはなぜユルい?』を刊行。現在はNHKを退職し、主に執筆活動に注力している。2016年長編小説『アグニオン』を上梓。
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