いきなりで申しわけないのだが、
俺は働くことがあまり好きじゃない。だがそれは俺に限ったことじゃないはずで、お前らだって働かずにいられるならどれほどいいかと思ったことくらいあるだろう。お気に入りの喫茶店で好きな本を読んだり、ぶらりと入った劇場でおもしろそうな映画を観たりしながら、そうやって毎日をのんきに過ごせたら、きっと楽しいぞ。最高だぞ。わははは。いやあ、夢のような暮らしだよな。お前らだってそう思うだろ。そう思うよな。思ったなら、もう俺とお前らは働きたくない仲間どうしだから、ここでまずハイタッチの一つくらいは決めたいところだよ。ヘーイ。
いやこれは別に何かの比喩でも誰かへの皮肉でもないぞ。
俺は本気でそういう暮らしができないかと思っているのだ。突然目の前に現れた誰かが「どうだ君、そういう暮らしをしてみないかね」と言ってくれる日が来ることを心のどこかで期待してるのだ。もちろん客観的に見れば、どう考えても俺が一人で現実逃避の世迷言を言っているだけなのだが、それが俺の夢、マイドリームなのだからしかたがない。だからそこは一つ、やさしい気持ちで大目に見てやって欲しい。誰だって人には優しくするべきだからな。
だがしかし、
世の中はそう甘くはない。むしろ激しくビターテイストだ。苦いどころか下手すりゃ辛いし、場合によっては意識が遠のくほどに激辛だ。ああ、わかってる。わかっているとも。俺がどれほどゆるい暮らしを望んだとしても、所詮は体にビシバシと鞭打って働くしかないのだ。しかも俺の場合、自分で自分に鞭打たなきゃならないわけで、それって、本当にたまったもんじゃないんだぞ。ああ情けない。どうなったんだよマイドリームは。この俺の情けない気持ちをお前ら全員に均等にわけてやりたいくらいだよ。
すまぬ。前置きがずいぶん長くなってしまったようだ。
さて、今この文章を読んでいるお前らは、この連載が根本的にどこかおかしいということに気づいているか。この「仕事旅行」というサイトは、働くことについて考えたり、自分の知らない仕事に出会ったりするために役立つ情報が満載される場だと聞いているが、俺は働きたくないと公言する男だ。転社や転職の経験は数多くあるが、そのほとんどは自分から積極的に動いたわけではなく、
ただ誘われるまま流されるように生きてきたらこうなったというだけの男だ。たいして人の役に立つような話もないし、誰かに誇れるようなものもない。もちろん企業に就職したときには履歴書やら職務経歴書やらは書いたし、面接だってそれなりに受けてはいるが、学生の頭を悩ませている昨今のいわゆる一斉に行われる「就活」はやったことがない。
それはともかく。毎日を小手先でやり過ごすことばかりを考えている俺なんかが、働き方についてまともに語れるはずもないし、そもそも俺は働くということについて真剣に考えたことがないのだぞ。だから、いいか。俺の言う働き方の話など適当すぎて何の参考にもならんのだよ。わはははは。
参考にしちゃいかんのだよ。
だいたい、
そんな俺に原稿を依頼してくる「仕事旅行」も無茶だろう。確かに俺はいろんな会社や職種を転々としているが、どちらかといえば、いわゆるブラックな働き方が多かったから、もしも俺が何かを書けば「ブラック企業でも何とかなるぜ」という話になりかねないぞと返事をしたわけだ。つまり「無理です、無理無理。俺には無理ですよ」というボールを投げたのだ。
ところがそのボールを受け取って「それじゃまあ一度お茶でもどうですか」と誘ってくる編集者である。来たよ、これだよ、こいつは只者じゃない。そう。すでに戦いは始まっているのだ。お茶でも雑談でもという言葉ほど恐ろしいものはない。書店に入って気がつけば両手に紙袋を持って出てくるのと同じくらい危険なのである。お茶や雑談だと言われてノコノコとでかけ、帰り道に「なぜ俺はこの仕事を受けてしまったのか」としょぼんとする俺にこれまで何度出会って来たことか。
要するに俺はアホなのだ。まったく学ばない。最近になってようやく断ると言うことを覚えてきたのだが、それでも面と向かって断るというのは俺にとっては相当ハードルの高い作業だ。俺は働きたくないのだ。働くということに背を向けて生きたいと願っているのだ。
がんばる気など毛頭ないのだ。
そんな俺の話を聞いて
「なるほど。それでは働きたくないことについての原稿を」と言ってのける編集者もどうかと思うのだ。おいおい、行き当たりばったりかよ。そんなことでいいのか。しかも、うっかりその依頼に対して「ああ、それなら。わかりました」と答える俺も俺だ。お前は働きたくないんじゃないのか。なんでそんな依頼を受けているんだ。受けてしまったら書かなきゃいけないじゃないか。
働かなきゃならないじゃないか。
お前らも、もうおわかりだろう。俺にとっては、まさにこれが仕事というものだ。働きたくないのに気づけばなぜか働く羽目になっている。
仕事とは逃げても逃げても先回りして俺を捕まえにくるモンスターのような存在なのだ。
モンスターと戦えば負けるに決まっているのだから、俺としてはできるだけ戦わずにいたい。それが無理ならばさっさと逃げ出すことだ。くだらぬ戦いの舞台にとどまっていてはいけない。さっさと逃げるしかない。だがうっかり逃げ損なえば、こんなふうに、この原稿を書く羽目になるわけだ。
そもそも、どうして俺たちは働くのか。俺にとって働くとは、逃げ切れずに捕まって何かをやらされることであって、楽しいことでも、嬉しいことでもない。だからやっぱり就職活動というのがまるでわからない。自分から仕事をしようというのか。誰かに騙されたり、巻き込まれたり、誘われたりしたわけでもないのに、わざわざ自分から仕事をしようというのか。したいのか。働きたいのか。そんなにまでして、働く場所を求めているのか。それはなぜか。
そこにはあたりまえの大きな要素が一つ横たわっている。
金だ。マネーだ。これを言ってはもう身も蓋もないが、仕事や働き方を考えるときに、金の話は避けて通れない問題だ。どれほど「金の問題じゃないんだ」なんてカッコつけて叫ぼうが、やっぱり金の問題は大きい。お前ら知っているか。たいていの人間は、働かなきゃ金が手に入らないのだ。そして、ある程度の金が手に入らないと生活は苦しくなる。生活が苦しいのが悪いことなのかという開き直り方もあるだろうが、やはり金がないというのは相当つらいことだ。
まず止まるのは電気だ。次にガス。そして最後が水道だ。
水道局はぎりぎりまで待ってくれる。水がないと人間は死ぬからだという話だが、本当かどうかは知らない。
とにかく金がなければそうやってライフラインが削られていく。
俺はふりかけをスプーンですくって口に入れ、じっくり塩分を味わってからゆっくり水で流し込んでいた。二十歳の頃の話だ。これを一食あたり二さじ、一週間ほど続けると、だんだん眠くてたまらなくなってくる。基本的に人間はあまりにもお腹が空くと目が冴えて眠れなくなるのだが、限度を超えるとこんどは眠くてたまらなくなる。まるで体が動かなくなるのだ。そんな状況になっても俺はやっぱり働きたくなくて、アルバイトを探そうともしなかったのだから、
どれだけ働くのが嫌なのかと自分でも呆れ返る。
それはたぶん俺の性格に大きな問題があるからなのだろうと睨んでいる。
俺は何かを始めると止められないのだ。簡単に言えば馬鹿なのである。目の前にニンジンがぶら下がると何も考えずにドタバタを大きな足音を立てて追いかけてしまうのだ。ニンジンに限らずそれが何であれ、やることを与えられるとやらずにいられない。球を投げられたら打たずにはいられない。完全なる受注体質。そこには俺がいない。自主性ゼロ。だから俺は働きたくないのである。人に誘われるまま、何かに流されるまま、巻き込まれるようにして俺は働いて来た。それがどれほど「ブラック的」な働き方であろうが、俺には止められないのだ。だから俺は「働くのは嫌だ」と公言するのだ。
それじゃ、そんな俺がどうやって働かずにいられるようになったのか。いやその前に、いま俺が毎日やっていることは「働く」じゃないのか。これは何なのか。
ようやく話が進みそうなので、この辺りでそろそろ本題に入ろうと思うが、あくまでも思うだけで話がちゃんと進むとは限らないのが俺の適当なところだから、あまり当てにしてはいけない。
そんなわけでつづきは次回だ。働かない働きかたについて、俺自身のこれまでの体験を交えて書いてみたいと思っている。たとえ、話が続いていなかろうが俺はまったく気にしないので、お前らも気にしないように。それでもまあ、一応は次回につづくと書いておくぞ。
次回:
★浅生鴨の「働かない働き方」vol.2ーそれは、ひとことで言えば、他人のためではなく自分のために働く働き方ということに尽きる
執筆者プロフィール
浅生鴨(あそう・かも)
1971年神戸市生まれ。早稲田大学除籍。大学在学中より大手ゲーム会社、レコード会社などに勤務し、企画開発やディレクターなどを担当する。その後、IT、イベント、広告、デザイン、放送など様々な業種を経て、NHKで番組を制作。その傍ら広報ツイートを担当し、2012年に『中の人などいない @NHK広報のツイートはなぜユルい?』を刊行。現在はNHKを退職し、主に執筆活動に注力している。2016年長編小説『アグニオン』を上梓。
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